2022年5月27日金曜日

「アートマネジメント特講1」の授業で茨城県近代美術館の「ハロー・ミュージアム」を体験しました。

 「アートマネジメント特講1」の授業では美術館の教育普及事業を学ぶ目的で様々なプログラムを調査したり、体験したりしています。

昨年に引き続き、5月26日の授業では、茨城県近代美術館のオンライン鑑賞プログラム「ハロー・ミュージアム」を体験しました。こちらは大学内でzoomをつなぎ、オンライン上でリアルタイムでプログラムを楽しむことが出来ます。


今年もモネの作品の一部を拡大してみてみることで、 色について考えたり、感じたことを自由に発表してみました。一つの作品でも様々な見方があるということ、学生たちの回答に丁寧にコメント、反応してくれ、みんな嬉しそうでした。
 担当の方は昨年と同じく、本学の卒業生の中村さんということもあり、 お仕事について、また在学中の様子などもお話ししていただき、 学生たちも親しみを持って参加することができました。

他にも大人向け、子ども向けで同じ印象派の作品について学べる
プログラムも違いを明確に出していることが分かるように2つの動画も上映してくれました。
美術館の方が様々な年代の方を対象にプログラムを組んでいること、そのためにそれぞれが作品について学び、自身の言葉で相手に伝えられるように努力をしていることが分かった授業でした。

ありがとうございました。

2022年5月24日火曜日

5月23日「芸術の現場から」・・・富岡市美術博物館学芸員 肥留川裕子さん

「芸術の現場から」では、群馬県の美術館より学芸員の方にもご講義をいただいています。5月23日は富岡市美術博物館学芸員 肥留川裕子さんにお越しいただきました。

初めに富岡市について、観光資源や市の基本情報を教えていただきました。
その後、美術館のある場所やアクセスを分かりやすい
資料で見せていただき・・・
この富岡市美術博物館がどういう施設なのか、その外観や建築、中の展示室の様子、企画展スケジュールや一般の方が利用できる設備も含めてご紹介いただきました。



受講生の皆さんもまだ訪れたことのない方も多く、
わくわくしながら聞いていました。
次に、肥留川さんご自身のお仕事について。
学芸員という仕事は名前は聞いたこともあり、すでに学芸員資格取得を目指して頑張っている学生も多いですが、
ご本人からどんな仕事をされているのかを聞くのは初めて。
担当となる企画展を年間1本はこなす肥留川さんですが、
開催に至るまでの経緯や行政、作家、作品収蔵先とのやり取りや
予算などなど。。。膨大な仕事量に学生たちは圧倒されていました。
中でも昨年ご担当された三輪洸旗・途道 -富岡から世界を紡ぐ- 」
展で東大寺に作品を借りに行かれたことについては、
美術運送業者さんと共に協力して作品を運搬、チェックする工程など
細かく具体的に教えていただきました。
そのお話を聞くかぎり、ご本人が言うように「学芸員は体力勝負!」とのことで、ここには学生もう~~む、そうなのか!という表情をしていました。



最後に、肥留川さんがこのお仕事で大切にしていることにもふれていただきました。
印象に残ったことは「市民と美術をつなぐ存在になる」ということ。
この気持ちを就職したときから持ち続けて現在に至るということですので
芯の強さ、意識の高さがひしひしと伝わってきました。
本学でも富岡市美術博物館とは連携事業を継続しています。
このような学芸員の方がいらっしゃる施設と連携が出来ることは
大変ありがたいことです。

今回は貴重なお話をありがとうございました。 

2022年5月16日月曜日

R4年度「西洋美術史実地研修1」第一回研修

「西洋美術史実地研修1」の第一回研修を行いました。 本授業は、学芸員資格科目ともなっており、博物館施設の実態を学ぶ授業でもあります。 そこで本年度、第一回目は高崎市美術館で開催中の収蔵作品展「あの風景を探しに美術館へ」へ行ってまいりました。
 高崎市美術館は高崎市出身あるいや高崎市にゆかりのある芸術家や彼らに影響を与えたピカソやシャガールなどエコール・ド・パリの作品を主に収蔵しており、今回の展覧会はそれらのコレクションを基に「風景」をテーマに展開しています。

 展覧会を鑑賞前には、同美術館の柴田純絵学芸員から高崎市美術館のコレクション方針や今回の展覧会についてのレクチャーを受けました。

美術館のコレクション傾向を反映し、同店ではピカソやシャガール、彼らに影響を受けた高崎市出身の山口薫、藤田嗣治、国吉康雄といった日本からヨーロッパ、アメリカに出て活躍した作家から現代アメリカ美術を代表するロバート・ラウシェンバーグによる写真コラージュまでの作品を見ることができました。




ヨーロッパ、アメリカ、中東、アジア、アフリカといった世界中の風景による「旅日和」を展開した展覧会ですが、実際の風景を観察して描いた風景画だけではなく、アーティストの心象風景を映し出した作品も展示されており、「風景」という切り口で多彩な作品を提示する工夫を、展覧会から見てとることができたのではないでしょうか。

1階から3階までの展示室を巡る間の通路には、風景に描かれた場所を示す図も示され、実際の景色と描かれた景色の違いを頭の中で比べることができたかもしれません。


 展覧会鑑賞後は高崎音楽センターの設計者であるアントニン・レーモンドのスタイルを取り入れた井上房一郎旧邸も見学しました。井上氏は高崎市の文化芸術の発展に大きく寄与した人物であり、今回の展覧会では井上氏ゆかりの作家作品も展示されていました。この井上房一郎旧邸と高崎市美術館のコレクションを共に見ることで、文化を根付かせ、それを受け継ぎ、残していくための努力について考える機会になったのではないでしょうか。
 高崎市美術館の柴田学芸員ならびに職員の方々にご配慮いただきながら、第一回実地研修を終えることができました。
 本授業は、今年度も新型コロナウィルス感染拡大防止対策を取りながら、美術館・博物館見学を続けていきます。

2022年5月13日金曜日

群馬県立近代美術館より出張講座に来ていただきました。

 5月12日の「アートマネジメント特講1」の授業では、

美術館の教育普及事業を体験するということで、

群馬県立近代美術館の教育普及係の小菅先生と黒田様に

本学にお越しいただきました。

毎年本授業では美術館に赴いていますが、今回は休館中のため、

様々なツールをお持ちいただき出張講座をしていただきました。


まず小菅先生より館の様々な事業についてご紹介をいただきました。


その後、たくさんの普及ツールをグループごとに体験しました。

実際に触ってみることで、初めてこういうものがあるのか!と知った学生や

「子ども向けだと思っていたが、大学生でも面白くてはまる」という感想も。

赤の素材 いろいろ 触ってイメージを伝えあう

作品を参考にしたパズル

小さな展示室をアートカードで作ります

素材セット、主に立体作品はどんな素材でできてるか触ってみることができます

様々なツールを使って、それぞれの対象に合わせたプログラムや、
美術に親しんでもらう手立てがあることを学びました。
また美術館にも足を運ばせていただこうと思います。
ありがとうございました。


2022年5月11日水曜日

4月25日「芸術の現場から」・・・アーティスト 澤田知子先生

「芸術の現場から」2回目となる講師は、アーティストの澤田知子先生をお迎えしました。

澤田先生は、美大卒業後、20年以上にわたり、美術界のフロントランナーとして活躍し続けています。一度は作品を目にしたことがあるのではないでしょうか。
代表的なものとしては、セルフポートレートによるシリーズがあります。

関西出身の澤田先生、絶妙なテンポで講義が進んでいきました。
まずは、自己紹介を兼ね、夢でもあった東京都写真美術館での個展、昨年開催された「狐の嫁いり」などを中心に、最近の展覧会について語られました。コロナ禍の影響もあり、会期途中で終了したことがとても残念だったと。

続いて、中学時代の美術教師との出会いについて。
デッサンや色彩の基本などの授業はあまりせず、アニメーションなどの映像作家ヤン・シュヴァンクマイエルや歌人・劇作家の寺山修司を題材に、美術の魅力を気づかせてくれた美術の先生。恩師でもあるその方が、日本を代表する現代美術家として活躍している椿昇氏であったことが、澤田先生にとっての大きな出会いになりました。
講義の最後でも話題になりましたが、椿氏の作品といえば、室井尚氏と制作された横浜トリエンナーレ第1回目の作品、高層ホテルの外壁になんと35mの巨大なバッタがとまっている作品です。草間彌生やオノ・ヨーコ、塩田千春などが集まった国際展の中でも、強烈なインパクトを与えました。

高校2年のとき、自分は絶対にアーティストになると決め、美大を受験することになりますが、デッサンが得意ではなかった澤田先生、恩師の助言を受けながら、成安造形短期大学(現在、短期は廃止)、そして成安造形大学に進学します。

美大時代、誰もがぶつかる壁があります。
作品を制作することの意味、表現とは何か、自分とは何者なのかなど、4年制大学に移られた時期に悩まれ大学を辞めることも考えたそうです。

大学時代には、アーティストとして活躍していく最初の作品ID400シリーズが生み出されました。

これが美術界でのデビュー作でもあります。

短大時代の写真の授業でセルフポートレイトの課題が出たことがきっかけになっています。

近所のスーパーにある証明写真機に何百回と通い、自分自身を写した400枚からなる作品。1枚の大きさは、誰もが一度は撮ったことがあるあのサイズです。
アーティストになるという決意のもと、心血をそそぎ手応えを感じた作品。
課題の提出、講評に際して、作品に対する反応がなかった担当教員に、作品、表現に対する想いを長時間ぶつけたそうです。時がたち、担当教員は当時の澤田先生について、「あの時の澤田くんは怖かったな~」と感想を漏らしたそうです。

なぜこの作品が生まれたのか、その萌芽は高校時代にありました。
通っていた神戸の高校の制服は、同世代にとって憧れのもの。
在校生ではない生徒が、真似していたほどの人気だったと。
ある種の熱狂の渦中にいた澤田先生、中身は変わらないのに、外見が変わると周りの反応が変わることを強く感じていました。
この経験が制作の底流になっています。

外見を作り込む、外見で判断されることへのこだわりが、シリーズを生み出すヒントになりました。
1990年代中頃から2000年の初頭、渋谷を中心に流行し、今でも大好きというギャルの存在、ガングロになり切った作品やロリータファッションをモチーフとした作品を紹介。
外国では、日本のサブカルチャーを説明する上で、女子高生のスタイルが研究の対象にもなっているそうです。

講義は、ニューヨークでの活動とスランプ時代に。
2006年~13年、公益財団法人ポーラ美術振興財団のサポート等により、ニューヨークへ。

この時の数年間、澤田先生は作品を制作できないほどのスランプに陥ります。
毎年コンスタントに制作を続けていた澤田先生、何をテーマにしたらいいのか、マンネリや新しいことへのチャレンジに踏み出せずに、1年間、全く制作できず、「ああこうやってアーティストを辞めていくんだ」と思ったそうです。
美術に関わっていない友人に相談したところ、「あなたなら大丈夫、できるわよ」と拍子抜けするぐらい受け答えと、恩師たちや先輩アーティストの方々にも「誰でもスランプはある」などと言われたことをきっかけに、気持ちが少しずつほぐれていき制作できるようになったと話されました。

そんなスランプの間も続々と展覧会のオファーが入ります。
ペンシルベニア州にあるアンディー・ウォーホール美術館もその一つ。館長とは友人だった澤田先生、スランプとはいえ断れずに受けたそうです。
地元企業とアーティストがコラボレーションしながら作品を制作するという趣旨により、ハインツ社のトマトケチャップやイエローマスタードを作品化。
ハインツ社は57という数字を創業以来、大切にしていることを知り、56の国の言語で、トマトケチャップやイエローマスタードのラベルを制作し、オリジナルと合わせて57にしたコンセプトなどを語られました。

ハイブランドのプラダが、各国の店舗で美術展を開催中です。
澤田先生もアーティストの1人として選ばれ、「お見合い写真」シリーズを出展されています。着物やドレス、70年代や80年代を彷彿するファッション、民族衣装のようなスタイルなど様々。作品によっては、20kgほど減量したものもあったそうです。
国によって好まれる作品が違うことの面白さを、投票のシールを貼って視覚的にわかるよう展示した国もあったとのこと。この作品は現在、東京の青山店で見ることができます。照明も含め、展示方法が凝った空間を見るだけでも刺激になる作品です。

~会場から質問~

SNSに関する質問に答えながら、最後は同調圧力について話が移りました。
「ニューヨークでの暮らしは、日本以上に大きい差別の深刻さや同調圧力を感じた。現在も同調圧力がテーマになるのを感じながら、二冊目の絵本制作に向かっている。絵本の制作は、新作を何個も行うくらいのエネルギーが必要なほど大変なことや、同調圧力に負けていたらアーティストになれなかった」と話されました。

ニューヨークでの作家活動を支えたポーラ、現在、展開中のプラダとのコラボレーションなど、いかに芸術の存在意義を重視しているのか、企業のスタンスや国による違いなども感じられる内容でした。

一度は美大を辞めようと思ったこと、ニューヨークではスランプに陥り、アーティストを辞めようと考えたことなど、内容の差はあれ誰もが経験する感情を、ちょっとした偶然を必然に変えるエネルギー、友人との会話の中で気持ちが楽になれたことなど、受講生にとっても身近なこととして受けとめられたことでしょう。

講義の中で、「信じられる人の言葉を素直に受け入れていくこと」が今の自分につながっているという言葉が印象に残っています。

澤田先生、素敵なご講義、ありがとうございました!