「アートマネジメント特講1」の授業では美術館の教育普及事業を学ぶ目的で様々なプログラムを調査したり、体験したりしています。
昨年に引き続き、5月26日の授業では、茨城県近代美術館のオンライン鑑賞プログラム「ハロー・ミュージアム」を体験しました。こちらは大学内でzoomをつなぎ、オンライン上でリアルタイムでプログラムを楽しむことが出来ます。
美学美術史学科では、美学、日本美術史、西洋美術史、美術実技、アートマネジメントの各分野を学ぶことができます。このブログとX(https://x.com/aesth1)では、学科の活動の最新ニュースを紹介しています。学科のより詳しい紹介は、本学HPの学科案内をご覧ください。 https://www.gpwu.ac.jp/dep/lit/art/index.html
「アートマネジメント特講1」の授業では美術館の教育普及事業を学ぶ目的で様々なプログラムを調査したり、体験したりしています。
昨年に引き続き、5月26日の授業では、茨城県近代美術館のオンライン鑑賞プログラム「ハロー・ミュージアム」を体験しました。こちらは大学内でzoomをつなぎ、オンライン上でリアルタイムでプログラムを楽しむことが出来ます。
「芸術の現場から」では、群馬県の美術館より学芸員の方にもご講義をいただいています。5月23日は富岡市美術博物館学芸員 肥留川裕子さんにお越しいただきました。
5月12日の「アートマネジメント特講1」の授業では、
美術館の教育普及事業を体験するということで、
群馬県立近代美術館の教育普及係の小菅先生と黒田様に
本学にお越しいただきました。
毎年本授業では美術館に赴いていますが、今回は休館中のため、
様々なツールをお持ちいただき出張講座をしていただきました。
まず小菅先生より館の様々な事業についてご紹介をいただきました。
その後、たくさんの普及ツールをグループごとに体験しました。
実際に触ってみることで、初めてこういうものがあるのか!と知った学生や
「子ども向けだと思っていたが、大学生でも面白くてはまる」という感想も。
「芸術の現場から」2回目となる講師は、アーティストの澤田知子先生をお迎えしました。
澤田先生は、美大卒業後、20年以上にわたり、美術界のフロントランナーとして活躍し続けています。一度は作品を目にしたことがあるのではないでしょうか。
代表的なものとしては、セルフポートレートによるシリーズがあります。
関西出身の澤田先生、絶妙なテンポで講義が進んでいきました。
まずは、自己紹介を兼ね、夢でもあった東京都写真美術館での個展、昨年開催された「狐の嫁いり」などを中心に、最近の展覧会について語られました。コロナ禍の影響もあり、会期途中で終了したことがとても残念だったと。
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続いて、中学時代の美術教師との出会いについて。
デッサンや色彩の基本などの授業はあまりせず、アニメーションなどの映像作家ヤン・シュヴァンクマイエルや歌人・劇作家の寺山修司を題材に、美術の魅力を気づかせてくれた美術の先生。恩師でもあるその方が、日本を代表する現代美術家として活躍している椿昇氏であったことが、澤田先生にとっての大きな出会いになりました。
講義の最後でも話題になりましたが、椿氏の作品といえば、室井尚氏と制作された横浜トリエンナーレ第1回目の作品、高層ホテルの外壁になんと35mの巨大なバッタがとまっている作品です。草間彌生やオノ・ヨーコ、塩田千春などが集まった国際展の中でも、強烈なインパクトを与えました。
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高校2年のとき、自分は絶対にアーティストになると決め、美大を受験することになりますが、デッサンが得意ではなかった澤田先生、恩師の助言を受けながら、成安造形短期大学(現在、短期は廃止)、そして成安造形大学に進学します。
美大時代、誰もがぶつかる壁があります。
作品を制作することの意味、表現とは何か、自分とは何者なのかなど、4年制大学に移られた時期に悩まれ大学を辞めることも考えたそうです。
大学時代には、アーティストとして活躍していく最初の作品ID400シリーズが生み出されました。
これが美術界でのデビュー作でもあります。
短大時代の写真の授業でセルフポートレイトの課題が出たことがきっかけになっています。
近所のスーパーにある証明写真機に何百回と通い、自分自身を写した400枚からなる作品。1枚の大きさは、誰もが一度は撮ったことがあるあのサイズです。
アーティストになるという決意のもと、心血をそそぎ手応えを感じた作品。
課題の提出、講評に際して、作品に対する反応がなかった担当教員に、作品、表現に対する想いを長時間ぶつけたそうです。時がたち、担当教員は当時の澤田先生について、「あの時の澤田くんは怖かったな~」と感想を漏らしたそうです。
なぜこの作品が生まれたのか、その萌芽は高校時代にありました。
通っていた神戸の高校の制服は、同世代にとって憧れのもの。
在校生ではない生徒が、真似していたほどの人気だったと。
ある種の熱狂の渦中にいた澤田先生、中身は変わらないのに、外見が変わると周りの反応が変わることを強く感じていました。
この経験が制作の底流になっています。
外見を作り込む、外見で判断されることへのこだわりが、シリーズを生み出すヒントになりました。
1990年代中頃から2000年の初頭、渋谷を中心に流行し、今でも大好きというギャルの存在、ガングロになり切った作品やロリータファッションをモチーフとした作品を紹介。
外国では、日本のサブカルチャーを説明する上で、女子高生のスタイルが研究の対象にもなっているそうです。
講義は、ニューヨークでの活動とスランプ時代に。
2006年~13年、公益財団法人ポーラ美術振興財団のサポート等により、ニューヨークへ。
この時の数年間、澤田先生は作品を制作できないほどのスランプに陥ります。
毎年コンスタントに制作を続けていた澤田先生、何をテーマにしたらいいのか、マンネリや新しいことへのチャレンジに踏み出せずに、1年間、全く制作できず、「ああこうやってアーティストを辞めていくんだ」と思ったそうです。
美術に関わっていない友人に相談したところ、「あなたなら大丈夫、できるわよ」と拍子抜けするぐらい受け答えと、恩師たちや先輩アーティストの方々にも「誰でもスランプはある」などと言われたことをきっかけに、気持ちが少しずつほぐれていき制作できるようになったと話されました。
そんなスランプの間も続々と展覧会のオファーが入ります。
ペンシルベニア州にあるアンディー・ウォーホール美術館もその一つ。館長とは友人だった澤田先生、スランプとはいえ断れずに受けたそうです。
地元企業とアーティストがコラボレーションしながら作品を制作するという趣旨により、ハインツ社のトマトケチャップやイエローマスタードを作品化。
ハインツ社は57という数字を創業以来、大切にしていることを知り、56の国の言語で、トマトケチャップやイエローマスタードのラベルを制作し、オリジナルと合わせて57にしたコンセプトなどを語られました。
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ハイブランドのプラダが、各国の店舗で美術展を開催中です。
澤田先生もアーティストの1人として選ばれ、「お見合い写真」シリーズを出展されています。着物やドレス、70年代や80年代を彷彿するファッション、民族衣装のようなスタイルなど様々。作品によっては、20kgほど減量したものもあったそうです。
国によって好まれる作品が違うことの面白さを、投票のシールを貼って視覚的にわかるよう展示した国もあったとのこと。この作品は現在、東京の青山店で見ることができます。照明も含め、展示方法が凝った空間を見るだけでも刺激になる作品です。
~会場から質問~
SNSに関する質問に答えながら、最後は同調圧力について話が移りました。
「ニューヨークでの暮らしは、日本以上に大きい差別の深刻さや同調圧力を感じた。現在も同調圧力がテーマになるのを感じながら、二冊目の絵本制作に向かっている。絵本の制作は、新作を何個も行うくらいのエネルギーが必要なほど大変なことや、同調圧力に負けていたらアーティストになれなかった」と話されました。
ニューヨークでの作家活動を支えたポーラ、現在、展開中のプラダとのコラボレーションなど、いかに芸術の存在意義を重視しているのか、企業のスタンスや国による違いなども感じられる内容でした。
一度は美大を辞めようと思ったこと、ニューヨークではスランプに陥り、アーティストを辞めようと考えたことなど、内容の差はあれ誰もが経験する感情を、ちょっとした偶然を必然に変えるエネルギー、友人との会話の中で気持ちが楽になれたことなど、受講生にとっても身近なこととして受けとめられたことでしょう。
講義の中で、「信じられる人の言葉を素直に受け入れていくこと」が今の自分につながっているという言葉が印象に残っています。
澤田先生、素敵なご講義、ありがとうございました!