令和7年7月7日というラッキーセブンが3つ揃ったこの日、群馬在住の画家、水野暁先生をお招きして、制作の現場や裏側、作品に対峙するスタンスをお話しいただきました。
当日は地元の先生のファンの方も訪れ、教室は先生のお話を楽しみにしていた様子です。
美学美術史学科では、美学、日本美術史、西洋美術史、美術実技、アートマネジメントの各分野を学ぶことができます。このブログとX(https://x.com/aesth1)では、学科の活動の最新ニュースを紹介しています。学科のより詳しい紹介は、本学HPの学科案内をご覧ください。 https://www.gpwu.ac.jp/dep-pos/dep/lit/art/index.html
令和7年7月7日というラッキーセブンが3つ揃ったこの日、群馬在住の画家、水野暁先生をお招きして、制作の現場や裏側、作品に対峙するスタンスをお話しいただきました。
当日は地元の先生のファンの方も訪れ、教室は先生のお話を楽しみにしていた様子です。
6月16日、「芸術の現場から」では日本通運(株)関東美術品支店の大木康代先生にお越しいただきました。
大木先生は大学卒業後、日本通運に勤められ、美術品輸送に30年以上携わられています。
ご講義は、大木先生が関わった美術展の紹介にはじまり、美術館やマスメディアなどから仕事を受注していること、「日本の美術品輸送の歴史は、まさに日本通運の美術品輸送の歴史」ということをお教えいただきました。1951年、サンフランシスコのデ・ヤング記念博物館での「講和記念サンフランシスコ日本古美術展」から日本通運の美術品輸送がはじまり、1964年には《ミロのヴィーナス》を運び、その折には時速30km程度で車を走行させたということでした。現代では考えにくい輸送方法で、きっと当時の注目を集めた美術品輸送だったのでしょう。とても興味深いお話しでした。
大木先生は美術品の取り扱いについて「美術品を、赤ちゃんを抱くように持つ」と表現され、学生たちは、そのイメージしやすい言葉に感銘を受けた様子でした。
その他、海外での美術品輸送、航空機やトラックでの輸送などについて、具体的な事例をご紹介くださいました。国内輸送と海外輸送のちがい、海外輸送の煩雑な手続き、美術品専用車の仕様、作品を輸送する時の温湿度や振動への配慮などは、展覧会を鑑賞しているだけではイメージできない、まさに「裏方」の仕事。学生たちは美術品輸送の大変さと重要性を知り、今後の展覧会鑑賞に新たな視点が加わったことでしょう。
最後に、昨今、美術品輸送におけるSDGsの取り組み、リユースの箱などについてお教えいただきました。時代に合わせて美術品輸送も進化していることを知り、今後の展覧会活動について考えさせられる良いご講義でした。
大木先生、ありがとうございました。
今回の「芸術の現場から」は、ゲスト講師としてサントリー美術館学芸員の内田 洸先生をお招きしました。
内田先生は、2012年早稲田大学大学院文学研究科美術史学コース修士課程を修了され、博士後期課程在学中に、秋田県立近代美術館の学芸員公募に応募され、学芸員になられました。
ご講義は、本学との縁を繋いだサントリーの説明から始まりました。
1899年、鳥井信治郎氏が創業、およそ60年後の1961年に佐治敬三氏の社長時代に、サントリー美術館が東京都千代田区の丸の内パレスビル内で開館。多くの美術館は、収蔵品を見せるために建設され、開館するそうですが、収蔵作品数「0」から始め、関係者を驚かせたそうです!!
2007年に六本木の東京ミッドタウンに移転。設計は、世界的に有名な隈研吾氏。
学生時代、考古学にも興味があり、選択を迷われたそうですが、日本美術の江戸絵画を専攻されました。学生時代、学内にある博物館でのアルバイトやゼミ活動として、絵画作品の調査や江戸時代の絵師のお墓巡り(苔掃)などもされたそうです。
次にサントリー美術館の概要へ。
日本全国の博物館数は令和三年度の報告では約5700館あり、そのうち美術・歴史を中心としたものが4400館ほど、この中で東京には約200館もあるそうです。国宝や重要文化財を多く収蔵し、外国人にも人気がある根津美術館や茶道具や刀剣などを収蔵する三井記念美術館などを説明されました。
そしてサントリー美術館の紹介に。
「生活の中の美」を美術館の基本理念とし、「美を結ぶ。美をひらく。」をミッドタウン移転後のミュージアムメッセージとしたそうです。
収蔵作品の紹介では、伝承として北条政子が所有していたとされる漆の器やガラス作品も多く、特にエミール・ガレのコレクション数は国内でも有数だそうです。
「都市の〈居間〉」が館内のコンセプト。サントリーをもじった玄鳥庵という茶室が館内にあります。
続いて、学芸員の業務について、詳しく話していただきました。資料の収集から、保管、展示、教育普及、運営・管理、照明器具LEDへの移行やショップで販売されるグッズ制作との連携など、大変多くの業務があるそうです。
特に展示について、展覧会が公開され、終了するまでの流れを説明していただきました。企画立案から始まり予算策定、出品交渉、広報、図録作成、造作・図面作成、展示設営、展示、開幕、イベント、閉幕、撤収、返却などなど。理想的には、約3年前からスタートできればいいそうです。
企画の内容として、収蔵品を中心にしたコレクション展か国内外の様々な美術館や個人からお借りする企画展かで、業務の内容も大きく異なるそうです。また自主企画か数カ所を巡回するか、マスメディアなどが企画に関わるかで、予算策定も大きく変わってくるそうです。
ここで出品交渉や調査の逸話を紹介していただきました。
上の画像は、巡回企画として関わったミネアポリス美術館を訪ねたときのものです。
国内の例として、お寺が所蔵される仏像や襖絵は、まだ現役で使用されていることがあり、簡単には展覧会に出品できないことや、調査や新規撮影を夏のお寺で行った際、汗が文化財に飛ばないよう、額にしっかりタオルを巻いたエピソードも語っていただきました。
何回も校正する図録制作では、フリクションが必須。研究の成果で記載内容が修正されることや、誤字脱字のチェックとフル回転、時にフリクションのインクや消しゴムを変えることもあるそうです。
大切な作品の運搬前にはコンディションレポート(調書)の作成が必要になります。どこが傷んでいるのか、どの箇所に気をつけなければいけないのかなど。運搬時は何かあったときに対応できるように、ずっと同行されるそうです。九州で作品をお借りした場合は、東京までなんと2日間も。
作品を展示する上で、照明効果はとても重要。外部に委託する美術館もあれば自分たちで行う美術館もあるそうです。
最後に今後、サントリー美術館で開催され、内田先生が関わっている「絵金」の展覧会について、紹介されました。高知県「土佐赤岡祭り」で使用される芝居絵などが中心になるようですが、履修生の手元に配られたチラシは、片面印刷の先行チラシ。これから本チラシと呼ばれる両面印刷へと制作が進んでいくとのこと。今まで芸術作品として、美術館で取り上げられることが少なかった「絵金」にスポットを当てた画期的な展覧会。実際のお祭りで見られるように、暗い空間の中に屏風を設置し、行燈の光で照らされた雰囲気を再現する試みなど、大掛かりなものになるようです。
あまり聞く機会がなかった多岐にわたる学芸員業務など、貴重な経験を交えたご講義でした。
内田先生、ありがとうございました。
第三回目のゲストとして、アーツ前橋特別館長、森美術館特別顧問、十和田市現代美術館総合アドバイザー、弘前れんが倉庫美術館特別館長補など多数のお仕事を兼任されている南條史生先生にご講義をいただきました。
先生には、2016年に一度本学にお越しいただき、その際も世界のアート、とりわけアジアの現在について、お話を伺いました。今回、本学学長からも何度もオファーし、大変お忙しい中二度目のご講義をいただくことが叶いました!ご縁があり、群馬県前橋市の「アーツ前橋」の特別館長というお立場になられたので、是非ともお話を伺いたいと思っていました。
今回の「芸術の現場から」は、ゲスト講師としてコスチューム・アーティストのひびの こづえ先生をお招きしました。
ひびの先生は、静岡県生まれ。 1982年に東京藝術大学美術学部デザイン科を卒業。
在学中は、デザインの中でも視覚伝達、つまりグラフィックデザインを専攻していたそうです。
コスチューム・アーティストとして活動する様になってからは、広告、演劇、ダンス、バレエ、映画、テレビなど、その発表の場は、多岐にわたり、毎日ファッション大賞新人賞、資生堂奨励賞、紀伊國屋演劇賞個人賞受賞なども受賞されています。
講義のスタートは、楽しかった大学生活の話から。
ひびの先生が就職した時代は男女雇用機会均等法が成立する前で、大手の広告代理店はクリエイティブな分野の採用は男性のみ。女性の採用はありませでした。ここで挫折を味わったと言います。広告代理店はあきらめ仕方なくアパレル業界に就職するも、すぐに退職。現在も続く「自分探し」の日々が始まります。
『これは何だと思いますか?』
まだ先の見えない自分へのエール、ステップアップの想いを込めて、《赤い階段の帽子》をはじめ、《タンスの帽子》なども制作されました。
1988年にコスチューム・アーティストとしての活動をスタート。
当時、ひびの先生は、じつは服に関してはまったく勉強しておらず、知識もなかったと言います。
時代は、DC(デザイナーズ&キャラクターズ)ブランドの全盛期。個性的で独創的なファッションが受け入れられていました。
テレビ、演劇、ダンス、歌舞伎、映画、雑誌、広告の世界で、ひびの先生の衣装が求められることになります。
川久保玲が生み出すコムデギャルソンのパリコレへの参加も経験。
服とは何かをテーマに活動が続きます。
「なんか、変?」
広告の世界は、何らかの違和感を印象に残すことが使命。ヘアメイク、カメラマンをはじめ多くの仲間を大切にして、コミュニケーションの中でさまざまなアイデアを生み出す面白さが、斬新な広告へとつながっていきます。
その後、CMのお仕事へ
「ホンダスタンドアップタクト」や「カゴメ野菜ジュース」で制作された野菜の服など、多数の映像を投影しながら、制作秘話を語ってくれました。
制作時間がない中、わずか数秒のためにどれだけ時間をかけるか、また服を制作するのではなく、どちらかというとオブジェを生み出している感覚だと話されました。
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そして今も続く長寿番組NHK Eテレ「にほんごであそぼう」のお話へ
2003年にスタートした「にほんごであそぼう」のコスチューム制作の話は、日本を代表するデザイナーの一人である、佐藤卓氏からもたらされました。
「にほんごであそぼう」を見て育った世代である多くの履修生が、ひびの先生の話に反応しました。
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子ども向けの番組ではあるけれど、子どもっぽいものをつくりたくはなかった、とひびの先生。
NHKでは、放送局のデザイナーが空間デザインのセットを提案することが当たり前、しかしひびの先生は、セットと衣装の両方を担当することに。セットの空間自体を衣装と捉えることで、衣装のアイデアを引き算できる。 歌舞伎の手法を取り入れ、何回も使えて収納がコンパクトですむ布をセットに使うことを提案。大量生産大量消費することではなく、環境に負荷がかからないよう配慮したと言います。
歌舞伎に関わる仕事が舞い込みます。
2000年コクーン歌舞伎「三人吉三」、2001年歌舞伎「研辰の討たれ」など。
通常の歌舞伎の舞台ではありえないような、スタンディング・オベーションも経験。
「三人吉三」
いよいよ最後のパートに。
多くの仕事を経験することで、衣装から生まれるダンスパフォーマンスを作ろうと考えるようになります。
ひびの先生がストーリーを考えて衣装プランを描き、そのプランを音楽家が作曲。衣装と、生まれた音楽をパフォーマーに手渡して新しい発想が吹き込まれて作品となる。
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LIVEBONEの映像の一部 |
奥能登国際芸術祭2020+で生まれた「Come and Go」 |
2017年から始まった奥能登国際芸術祭に参加。ひびの先生は、その後、毎年、奥能登の珠洲市に通っています。昨年の能登半島地震、そして豪雨で甚大な被害に遭われた方への支援を続けています。ひびの先生の話から、復興への願いが、伝わってきました。
最後に、履修生の方へのメッセージとして。
「最後まで作って完成させる」
大学時代の師である福田繁雄さんの言葉です。
ひびの先生は言います。
「アートは心に栄養を与えてくれる。美術を学んだ皆さんは、今は形が見えなくても、生活や仕事の中でそのことを実感しているはず」
ひびのこづえ先生、貴重な経験を交えたご講義、ありがとうございました。
「アートマネジメント特講2(2024年度)」受講生とアートマネジメントゼミ生有志26名の写真作品がセンター内ギャラリーに展示されます。
4月7日、桜が咲くころに今年も新入生研研修行事が大学構内で行われました。
32名の新入生を迎えて、気分もフレッシュに!
まずは教員の自己紹介を行いました。
2024年度の「美学演習9」(担当:武藤大祐)は、多様なジャンルの舞踊の初歩を実際に習ってみることで舞踊への理解を深めました。
舞踊には、外から見ているよりも、実際に体を動かすと初めて気付けること、感じられることがたくさんあります。この演習では、身体感覚を通して舞踊を見つめ、さらにディスカッションによって気付きを言語化したり、異なるジャンルの舞踊を比較することで考察を深めました。
最初の講師は、韓国舞踊のキムウイシンさん。「イプチュム(立舞)」という踊りの冒頭部分を習いました。練習用のチマ(スカート)を身に付け、足の運び方、手の動かし方を覚えて、呼吸と合わせていきます。
体の全体を滑らかに連動させるのが難しい踊りですが、90分×2回の練習でひとまず音楽に乗って動けるようになりました。K-POPとはまた違った朝鮮半島の美意識を体感しました。
次は歌手の中西レモンさんのご指導で盆踊りを体験。群馬県の草津節が岐阜県の「白鳥おどり」に取り入れられていることから、草津節を一人ずつ順に歌えるようになることから始め、次に振りを覚えて、歌いながら輪踊りを楽しめるようになりました。
盆踊りは、振り自体は易しくても、歌のサイクルと踊りのサイクルが微妙にずれているため、集団で行うゲームのような感覚が生まれます。
三番目は、岡田愛弓さんによるHOUSE。ビートの速い音楽に乗って軽やかに動き続けるストリートダンスの一ジャンルです。
足を置く位置を一歩また一歩と覚えていき、少しずつ振りのフレーズをつなげながら、一人一人が自分なりの滑らかな重心移動のコツやリズム感をつかみます。運動量がかなり多いですが、細かい足捌きとともに心地よく体を揺らせるようになりました。ちなみに講師の岡田さんは県女の卒業生。現在はダンスのインストラクターをされています。
最後は、壊れた人形のように独自のスタイルで踊るAbe"M"ARIAさんに、即興で踊るダンスを教わりました。
音楽をかけながらじっくりと体をほぐしてから、架空のボールでキャッチボールをしたり、ランダムに歩きながら自由に動きを変えてみたり、互いに動きを真似したりしている内に、テンションが高まります。ルールなしで動くので最初はみんな恥ずかしがっていましたが、動いている内に原始的な衝動が湧き起こって来るのを実感できたようです。
このように、多様な舞踊の初歩を各2回の授業で学び、舞踊の幅広さにふれるとともに、ディスカッションの時間では異なる舞踊の共通点や違いを探り、舞踊を分析する視点を練り上げていきました。やがて「上手/下手が重視される踊りと重視されない踊りの性格の違い」、「即興性と反復性はそれぞれコミュニケーションにどんな特色を与えるか」、「踊りにおいて「個性」とはどういうことを指すのか」といった美学的なテーマが考え出され、最終的にレポートの形に仕上げてもらいました。
「美学」は、芸術作品を鑑賞するだけでなく、自身の身体的な経験を対象として考察を深めることもできます。今回の演習では、身体感覚と言語感覚、具体的な体感と抽象的な思考を総合して「考える」ことを経験してもらえたように思います。