2021年7月16日金曜日

2021年度「芸術の現場から」で清水奈緒先生にご講義いただきました。

 7月5日の「芸術の現場から」では清水奈緒先生にいらしていただきました。
 清水先生は読売新聞社事業局において和洋を問わず展覧会の企画運営を担当されてこられ、現在は同社の野球事業部で巨人戦等の運営に携われています。今回はお仕事でのご経験を踏まえて、「新聞社の文化事業」と題して展覧会の企画・運営の実際を紹介しつつ、新聞社がどのように文化に貢献しているのかをお話いただきました。
 一口に新聞社の事業部といっても、そこで扱う事業は「スポーツ事業」「音楽・舞台事業」、「教育事業」そして「文化事業」と大きく4つに分かれるそうです。展覧会の企画・運営は最後の「文化事業」に当たります。
      
 では、新聞社はどのような立場で展覧会に関わっているのでしょうか?  

 日本で開催される展覧会では、新聞社やTV局の名前がポスター等に記されていることがあります。実は、日本の展覧会は新聞社やTV局が主催に加わって開催されています。もちろん、展覧会の内容の学術的な部分は、開催会場となる美術館・博物館の学芸員、展覧会の監修者である大学の研究者の知見が欠かせませんが、専門家の先生方と協力して企画を練り上げ、展覧会を運営していくという重要な役割を新聞社の文化事業部が担っています。
 清水先生は日本美術だけでなく西洋美術の企画展もご担当されており、その出品交渉の難しさについてもお話いただきました。 
入社以来約11年間で手掛けられた展覧会のポスター 

 日本では毎年数多くの企画展が開催されていますが、展覧会はひとつとして同じものであってはならないそうです。同一の作品が出展されることがあっても、企画の主旨が異なるように企画を練らなければならないということです。清水先生が研究者と共に企画した2016年に江戸東京博物館で開催された「大妖怪展 土偶から妖怪ウォッチまで」では、従来、民俗学の観点から紹介されてきた妖怪を美術史学的観点から妖怪の“造形表現”に焦点を当てることで、個性的な企画を作り上げられ、好評を得られました。


 また2018年に東京国立博物館で開催された「仁和寺と御室派のみほとけ」では、仁和寺に関する展覧会は過去すでに開催されていたため、仁和寺を総本山とする御室派寺院から名宝を集めるという企画を立てられたそうです。
 その出品交渉のため、全国50か所にある御室派寺院を訪ねられたそうです。中には、寺院においても普段は御開帳していない秘仏もあり、そもそもお寺にとっては国宝・重要文化財である前に大事な仏さまです。その輸送、展示はすぐに快諾いただけないこともあり、何度も赴いては、交渉を重ねられたそうです。その甲斐あって、最終的には約20の寺院から貴重な寺宝を借り受けることができ、特に展覧会の最大の見どころとなり、ポスター等でキービジュアルとして使われたのが、大阪・葛井寺の国宝「千手観音菩薩坐像」です。 

ポスター下:「千手観音菩薩坐像」

 天平彫刻の傑作のひとつであり、千本以上の 手を持つ千手観音像はこれ一体しか現存していません。 輸送は細心の注意を払って行われ、美術品専門の輸送会社の担当者の方々もいつになく緊張されたといのことでした。

 しばしばお寺の仏像を縁もゆかりもない東京の美術博物館で展示することを本来の作品の在り方を損なう商業主義と批判する向きもありますが、新聞社の文化事業は単に集客をのみ目的としているのではなく、美術作品の保全や維持といった形で文化に貢献することも目指しているのだという気概を感じさせるお話でした。
 とはいえ、新聞社は私企業であり、良い展覧会を数多く実施するためには収支も重要です。多くの人に見に来てもらうための工夫も必要となってきます。図録の作成やポスターをはじめとする広告、会場で売られる展覧会グッズの開発も文化事業部の仕事です。 
プロの写真家による「千手観音菩薩坐像」撮り下ろしの
ポスターや御室派の仏像の所在マップなど

 文化事業部の仕事は展覧会の裏方の仕事ですが、担当者として、会場での声を聞くのも楽しみの一つだとか。「仁和寺と御室派のみほとけ」展では、スタッフとして会場を回っていた折に、観客のおひとりからお声をかけられたエピソードを紹介してくださいました。その方は葛井寺の「千手観音菩薩坐像」を長年見たいと、いずれ大阪へ旅行をと考えていたものの足を悪くして、諦めていたのが、展覧会のおかげで夢が叶ったそうです。 

  このように企画段階から展覧会の準備、設営、広報といった多くの段階を踏んで展覧会が開かれるので一つの展覧会は短くても3年、長いものは10年がかりで実現するという長丁場です。時には、その間に何人もの担当がバトンリレーをしながら作り上げるものも。昨年開かれたゴッホの「ひまわり」が初来日したロンドン・ナショナル・ギャラリー展もそうした展覧会の一つです。そうして苦労して作り上げた展覧会の多くが、去年からの新型コロナウィルスの感染拡大により中止や延期、よくても会期を縮小したり、予約制にして入場者数を抑えての開催となっています。刻々と変わる状況への対応も必要です。当然、先行きが不透明な今も数年後の新しい展覧会の企画を立ち上げなければなりません。

  清水先生が現在、野球事業部で携わっておられるプロ野球の試合も入場制限が続きます。そこで、どうしたらTVを見ているファンに野球場の臨場感を伝えるか、映像配信やアバターロボットをはじめとした新しい技術を使っての試みを編み出されています。 しかし、単にアクシデントに対応するための一過性のものではなく、未来において新しい世代のファンにアピールするものを創意工夫していく姿は受講生にとって大きな刺激となったようです。 
 講演終了後、受講生から多くの質問がありました。

(質疑応答の様子)

 以上、本日は普段は多くの人が展覧会に行っても意識していない芸術文化を支える「新聞社の文化事業部」のお仕事を紹介いただきました。誠意と熱意をもった清水先生のお仕事ぶりも含め、とても有意義なご講義をいただきました。 
 清水先生、ありがとうございました。

2021年7月10日土曜日

2021年度「芸術の現場から」で廣海伸彦先生にご講義いただきました。

6月28日の「芸術の現場から」では廣海伸彦先生にいらしていただきました。廣海先生は主任学芸員として出光美術館に勤務されており、江戸時代の絵画を中心とする展覧会の企画・調査研究に従事されています。そのお仕事でのご経験を踏まえ、「展覧会企画の思考法」と題して、美術館の学芸員として展覧会の企画をどのように立てているのかをお話いただきました。

冒頭、「私は博物館があまり好きでない。(中略)。分類とか保存とか公益とかいう正当で明晰な諸々の観念は,歓喜法悦とはあまり縁がないのである。」「これらの名作絶品をこうやっていっしょに並べて置くのは非常識(パラドックス)だ」というポール・ヴァレリー(1871~1945)の言葉を引いて、驚かせてくれました。さらには美術館や博物館、展覧会は、作品を本来あった場所から引き離してもいると言われました。それにもかかわらずどうして展覧会は開催されるのでしょうか。展覧会の意義とはどのようなものなのでしょうか。
廣海先生はマネ(1832~83)の「オランピア」とティッツィアーノ(1488/90~1576)の「ウルビーノのヴィーナス」とが隣り合って展示されたヴェネツィア・ドゥカーレ宮殿で2013年に行われた「マネ、ヴェネツィアへの帰還」展の会場風景をスライドで写し、両者の構図や描かれた女性のポーズ、画面の大きさと縦横比が近似していること、そしてイタリアを訪れたマネがティッツィアーノに刺激を受けたこととを、展覧会場に並んだ二つの絵画を見ることで展覧会を訪れた人は体感的に理解することを紹介されました。複数の作品が組み合わされることで、作品1点だけの鑑賞では得られなかった事柄を実感として理解できる、ここに展覧会の意義があるというのです。
この、複数作品の組み合わせや、展覧会の脈絡に展示品を配置することは、学芸員による解釈の提示であり、これが展覧会において学芸員が行うべき重要な働きであるのです。

廣海先生の勤務されている出光美術館は、所蔵品数が約1万件と、東アジアの古美術をあつかう私立美術館の中でも数多くの作品を所蔵しており、原則として、自館の収蔵品を最大限に活用した展示を行なっているそうです。コレクションの価値づけを、所蔵館の学芸員が率先して行わないで誰が行うのかという考えに基づいているようです。借用作品に頼らない展覧会が基本ということですが、所蔵品の新たな知見や解釈と、それに基づく独自の企画と明確な意図がなければ、このような展覧会活動は成り立ちませんし、持続しないでしょう。展覧会には学芸員による持続的な調査・研究活動が不可欠と強調されました。

展覧会の文脈を作り出す学芸員の発想を、出光美術館の「四季花木図屏風」を例に示してくれました。この作品は、土佐光信の手になると伝えられる室町時代(16世紀)の屏風絵で重要文化財です。それが画家に注目すれば土佐派による(と考えられる)絵画、技法に注目すれば金や銀を含む彩色画、主題に注目すれば自然の景色を描く絵画、形式に注目すれば屏風絵、制作年代に注目すれば室町時代の絵画、文化財保護制度に注目すれば重要文化財指定の絵画となるのです。1点の作品でも、どの性質に注目するのかで出てくる情報は異なります。その作品の気づかれていない性質を引き出す、学芸員が設定する観点が重要なのです。そしてこの観点が展覧会のテーマになるのです。

廣海先生はそのことを、令和2年(2020)の2月から3月にかけて出光美術館で開催した「狩野派――画壇を制した眼と手」展を具体例としてお話してくれました。この展覧会は御用絵師として知られる狩野派が中国や日本の古い絵画を見て、鑑定し、模写をして学び、その成果を自らの絵としていく営みに注目したものでした。そこではこれまで展示したことのない所蔵品をいくつも出陳し、また新しい作品相互の組み合わせや、新たな作品評価を打ち出されたのでした。

以上を通して、廣海先生は展覧会企画の学芸員の思考法を具体的にお話してくれました。展覧会では同じ作品であっても展覧会の枠組みや脈絡や、集められる他の作品との関係によって解釈が変わることがあることも学びました。新型コロナウィルスの感染拡大防止のために昨年と今年と、多くの展覧会が中止や早期の閉幕を余儀なくされましたが、展示を通じて発信されるはずだった学芸員の思索を受け取る機会を多く失ったことにも気づかされました。

2021年7月1日木曜日

2021年度「芸術の現場から」 6月21日(月) 光畑由佳先生によるご講義

6月21日の授業は、光畑由佳先生をお迎えして、「女性が自分らしく輝ける社会をめざして  授乳服メーカー「MO-HOUSE」の挑戦」と題して講義をしていただきました。
光畑先生は、お茶の水女子大学被服学科をご卒業後、ファッション、アート、音楽、演技など常に新しい文化を発信し続ける「PARCO」で、多くの美術関係のキュレーション、建築書の編集などを経験されました。
その後、オリジナルブランドの授乳服を中心に、衣服による環境づくりを提案するMO-HOUSE(以下、モーハウス)を設立。代表として働くかたわら、東京大学大学院情報学環・学際情報学府客員研究員や筑波大学大学院非常勤講師としてもご活躍です。政府関係や行政の有識者会議委員ほか、2014年、2016年に開催された「APEC女性と経済フォーラム」では日本代表の一人としてスピーカーを務められました。著書に『働くママが日本を救う!「子連れ出勤」という就業スタイル』があります。

講義の冒頭では、世界の中で見た日本の妊産婦死亡率、新生児死亡率の低さ、女性の幸福度、子供を持たない選択理由などを提示されました。

モーハウス起業のきっかけは、光畑先生ご自身が経験された「中央線事件」。
ご自身の子が生後1ヶ月のとき、外出時の電車の中でのことです。泣き出した娘がなかなか泣きやまず、周囲からの冷たい視線、迷惑そうな空気が車内に漂ったとき、「赤ちゃんを連れて出かけるだけで、なぜこんな思いをしなければいけないのだろうか」
「行政に頼るのではなく、この状況をどうにか自分で変えていきたい」
そう思ったそうです。

講義の中で光畑先生が、受講生を巻き込み、この「中央線事件」を赤ちゃんの人形を使って再現。



「徹底的に環境調整をすることで、身体内部の状態を良好にコントロールしていく、それが本来の看護ということである」

近代看護教育の母と呼ばれるナイチンゲールの言葉ですが、この言葉を信念に、いつでも、どこでも、快適な授乳環境が1枚の服から整えられるのではないか、そんな思いから起業したのが「モーハウス」です。モーハウスのモーは、motherのmoから、つまり母という意味が込められています。授乳=ミルク、ミルク=牛、牛からイメージするモーではないそうです。

地球、都市、住など大きな意味で使われることもある環境というキーワード、光畑先生の根っこにある被服という視点から、環境をデザインしていくことの重要性を繰り返し語られました。

後半は、モーハウスの働き方改革の1つである「子連れ出勤」について。
ここ数年、見られるようになった企業内託児所(社内もしくは近隣に設置された保育所)としてではなく、ある時はパソコンで作業をしながら授乳したり、オフィスの一角で赤ちゃんがお昼寝をしたり、多くのスタッフの中で育っていく、ハイハイから歩き始めるくらいの子どもたちを、当時の少子化対策担当大臣が来社された時の写真なども交えて紹介されました。

最後のスライドは、このオフィス環境の中で育った1人の子どもの写真でした。
そこには、歩き始めたくらいの小さな子が、自分の子供(キューピー人形?)を抱っこしながら、手にはノートと鉛筆を持っています。
子どのがいる環境で仕事をすることの意味を示した1枚。
この1枚の写真は、女性が自分らしく輝く社会づくりにつながっていくために社会を変えていく力を現わしているようです。

授業終了後の風景。
受講生は授乳服に興味津々、光畑先生の周りに集まった受講生から、多くの質問が投げかけられました。

受講生にとって近い将来への道しるべの1つとして、大変有意義なご講義になりました。

ありがとうございました。


2021年6月25日金曜日

R3年度西洋美術史実地研修1


5月に予定していたものの、延期して6月の実施となった第2回の実地研修では、桐生市の大川美術館に訪問しました。

入館前に一人ずつ検温を受けて入館。

まずは企画展「大川美術館コレクションによる20世紀アート120」から見学。

元は社員寮であったという建物内を活用した展示室に20世紀を代表する画家たちの作品が並びます。学生たちはエコール・ド・パリ、ウォーホル、ベン・シャーンなど事前学習で下調べした流派や画家の作品を実地に鑑賞します。


大川美術館は創設者の大川栄二さんが日本の近代画家・松本俊介の作品と出会ったことから始まった美術館で、現在館内にはクラウドファウンディングによって実現した松本俊介のアトリエの再現を見ることができます。





              今回の実地研修では、特別に田中淳館長からレクチャーをいただけることになりました。(館長は今年「芸術の現場から」の授業でも本校でご講義いただいております。そちらの様子はリンク先から→https://kenjo-bigaku.blogspot.com/2021/04/2021.html

  

大川美術館の設立の経緯、松本俊介のコレクションに始まって彼に関連するだろう国内外の作家の作品を収集していったか、同時開催の企画展「藤島武二のスケッチ100-画家が歩んだ明治・大正・昭和」についてお話しいただきました。

藤島武二のスケッチを食い入るように鑑賞。

 また、今回はご厚意で、現在海外に行って作品を見る機会を得られない学生たちのために以前、同館で開催された「模写展」で展示された模写作品も再展示くださいました。模写といっても、画家、修復家からなる「古典絵画技法研究会」によるもので、当時の技法や材料を研究したうえでの本格的な古美術の再現です。展示されていたのは14世紀イタリアの画家シモーネ・マルティーニの《受胎告知》(部分)、同時代のジョット《荘厳の聖母》(部分)、15世紀のフランドル画家ロベール・カンパン《磔刑》部分、16世紀の北方の画家ピーテル・ブリューゲルの《鳥罠のある冬景色》といった時代、地域、技法の異なる4点の模写。


ことに国際ゴシック様式の先駆けにもなったマルティーニの金地背景のテンペラ画は当時の技法の粋を尽くした作品です。中世から初期ルネサンス期までは主流だった卵をつかったテンペラ技法で描かれた作品を日本国内で見る機会はなかなかありません。また、国内外を問わず、現在我々が見ることができるテンペラ画は数百年を経ており、金箔が剥がれたり、顔料が変色しています。もちろん、保存状況がよく、適切な修復がなされた作品も多く残っていますが、描かれたばかりの上体とは言えません。その意味では、模写とはいえ、制作後数年の金地背景のテンペラ画の豪華な画面を見れたのは貴重な経験だったでしょう。


あいにくの雨の中での実地研修となりましたが、20世紀アメリカ美術、近現代の日本美術、あわせて中世末期からルネサンスの模写と多様な美術を見る機会を得られました。
田中館長はじめ美術館の皆様、ありがとうございました。

2021年6月18日金曜日

2021年度「芸術の現場から」     横山義志先生ご講義「どうすれば舞台芸術で「食って」いけるのか」

6月14日の「芸術の現場から」はSPAC(静岡県舞台芸術センター)の文芸部にいらっしゃる横山義志先生に、「どうすれば舞台芸術で「食って」いけるのか:コロナ禍における芸術活動支援から考える」というテーマでお話をしていただきました。

SPACは静岡市の「舞台芸術公園」のなかに立派な野外劇場「有度」を含む複数の劇場を持ち、また東静岡駅のすぐ隣の「静岡芸術劇場」や、駿府城公園でも公演を行っている静岡県立の劇団・劇場組織です。

コロナ禍における芸術活動支援について受講生にしらべてもらった先生は、それが1)厚労省、2)経産省、3)文化庁の三つの省庁から行われていることを確認し、厚労省のものが主として労働者の「賃金・給与」を対象にし、経産省のものが主として事業での利益を対象にしているのに対し、文化庁のものがそれに加えて「文化芸術活動」への謝礼を対象にしていることに注目します。

アートには、事業や労働とは別種の「謝礼」という収入があるのですけれど、それがどういう性質のものなのかを西洋のアートの歴史を遡って説明されます。

アートは共同体やその宗教儀礼に必要な「技術」として始まったのですが、中世にはギルドを持つ「職人芸」とみなされ、近世にアカデミーが作られることで天才である「自由人」の学芸と見做されるようになりました。また近代に入ると、「市民」として社会での機能が強調されるようになり、二十世紀には「芸術労働者」としての役割が強調されるようになります。そして「自由人」、「自由業」としてのアーティストに相応しいのは、報酬ではなく「謝礼」という言葉だったのでした。
職人芸としてのアートの評価はギルドの他のメンバーが、アカデミー型のアートの評価は有識者が、社会型のアートの評価は受容者が中心になっていました。現代のアートはこの三つの評価がバランスよく得られることによって成り立っていると指摘されたのでした。

ですからアート、あるいはアーティストにはもともと、近代的な経済の枠組みからはみ出すところがあります。実際、演劇を専攻する私立大学の増加は、比較的裕福な階層の出身者が演劇の現場を「食えなくても」続けるという傾向を強めたかもしれないと先生は指摘されました。
舞台芸術、とりわけ演劇では、「ライブ」だけで「食っていく」のはもともと難しいのです。そしてコロナ禍はその困難をさらに深めてゆきます。一回性、ライブ性を重んじる演劇がオンラインというメディアにうまく適合しないことと、コロナ禍での経済格差の拡大により庶民が観劇に使えるお金が減ってきたことです。

そのなかで「舞台芸術」を「続ける」ことはどうやったら可能なのか、コロナ禍で深まった舞台芸術の危機はそれ以前からも存在していました。
舞台芸術は「人件費」が多くを占める芸術です。それを賄う公的資金、民間資金は増やすことができるのか、コストは減らすことができるのか、他に道はあるのか、解決が見出されているわけではありませんが、まさにみんなで考えていきましょう、というのが先生のご講義の結論でした。

簡単な希望や展望を示す、というお話ではなく、舞台芸術に固有の「食っていけなさ」についての歴史的経緯と現状を分かりやすく説明されたご講義でした。

2021年6月7日月曜日

2021年度「芸術の現場から」5月31日 明珍素也先生によるご講義

5月31日の授業には、明珍素也先生をお迎えして、「彫刻の保存修理ー日本の文化財を対象とするー」と題してご講義を頂戴しました。明珍先生は、仏像などの立体的な文化財の保存修理をする工房である株式会社明古堂の代表で、武蔵野美術大学客員教授も務められています。

今回のご講義では、まず仏像の様々な造像技法やの解説から始まりました。一木造、寄木造、割矧造といった各技法について、わかりやすい説明があり、次いで木彫の場合の樹種にも触れられました。次に、仏像にはどのような荘厳がなされているか(荘厳は仏を飾ること、この場合は仏像の表面にどのような仕上げを施すかということ)について説明があり、制作・修理に欠かせない漆のお話しもなされました。


後半では、具体的な修理事例における様々な問題が紹介されました。修理技術の解説はもとより、文化財修理の方針や理念などについて、幅広いお話しがありました。現在基本となっている保存修理は、推定などによる復元は極力避けて、現在残されている姿がそのまま後世に伝えられるように修理するという方針で行われるということで、必ずしも修理後の見た目がいわゆるピカピカになるわけではないとのことです。

また、修理の方針によっては、一度部材を全て解体してバラバラにしてしまうこともあり、解体された様子も画像により説明されました。


ご講義の全編にわたって、修理現場でしか得られない貴重な画像が豊富に用いられ、学生一同、終始引きつけられながら90分が過ぎてしまいました。

大変得がたいご講義ありがとうございました。

2021年6月3日木曜日

「アートマネジメント特講1」の授業で茨城県近代美術館の「ハローミュージアム」を体験しました。

6月3日の「アートマネジメント特講1」の授業ではオンラインでの教育普及事業を活発に行っている 茨城県近代美術館の「ハローミュージアム」というアウトリーチ事業を体験しました。 zoomを使って授業時間に担当の方とつながり、 交流を深めながらオンラインでの鑑賞を試みました。 今回はモネの作品の一部を拡大してみてみることで、 色について考えたり、感じたことを自由に発表してみました。 担当の方は本学の卒業生の中村さんということもあり、 お仕事について、また在学中の様子などもお話ししていただき、 学生たちも親しみを持って参加することができました。
最後の20分はオンラインでの鑑賞について感想を述べたり、 美術館への質問など活発な発言が見られました。 教育普及事業のバリエーションやオンラインならではの強みを生かした 試みとなり、とても充実した時間になりました。 茨城県近代美術館の皆様、ありがとうございました。