美学美術史学科では、美学、日本美術史、西洋美術史、美術実技、アートマネジメントの各分野を学ぶことができます。このブログとX(https://x.com/aesth1)では、学科の活動の最新ニュースを紹介しています。学科のより詳しい紹介は、本学HPの学科案内をご覧ください。 https://www.gpwu.ac.jp/dep-pos/dep/lit/art/index.html
2021年8月6日金曜日
2021年「西洋美術史実地研修1」第3回研修
2021年8月2日月曜日
2021年度「芸術の現場から」 7月19日(月) 本学卒業生の片山真理先生による講義

7月19日、ゲスト講師の最後は、片山真理先生を迎えて行いました。
片山先生は本学美学美術史学科を卒業後、東京藝術大学大学院研究科先端表現専攻に進学、修了作品が「アートアワードトーキョー丸の内2012」でグランプリ受賞。現在、国内外の多くの展覧会に出展されている、日本を代表するアーティストのお一人でもあります。
2019年にユナイテッドヴァガボンズ社から出版された写真集『GIFT』を出版。国際展の中でも歴史ある第58回ヴェネツィア・ビエンナーレの企画展「May You Live in Interesting Times」に招待されました。出版及び存在感ある展示が評価の対象となり、第45回木村伊兵衛写真賞を昨年、受賞されました。
講義は、前半が主に大学時代までについて、後半は卒業後の制作活動や制作への思いを語り、前半と後半の終わりで質疑応答をはさむという、片山先生の提案による対話形式で展開しました。
はじめに、今の作品につながる系譜として、おばあちゃんやお母さん、みんながいろいろなものを自分で裁縫してつくるような環境で育ったこと、家族の服を裁縫している姿が身近にあり、自然に興味を持ったこと、片山先生も3〜4歳の頃から、チクチクと作りはじめたこと、針と糸があればなんでもできること、この楽しさが原点にあると話されました。
そして商業高校在学中、英語で日記を書いてSNSにあげていたことなどから始まり、進路の選択にあたり就職のための小論文を書くことが求められ、どうしても書くべきことが見つけられなかった。自身の義足に絵を描いていたことを進路指導の先生(美術を担当)が知り公募展を紹介され、応募することになった。その公募展とは、現在も若手美術作家の登竜門である「群馬青年ビエンナーレ2005」。片山先生は当時16歳、作品を見せるためにあまり意味なく使用していたイーゼルも展示されることになった『足をはかりに』で見事、入選を果たし、奨励賞を受賞。
この受賞が、就職ではなく進学、つまり本学の美学美術史学科を選択することにつながったそうです。

本学在学中、服飾部に入って実技棟でファッションショーを企画したことや、バンド活動をしていたこと、通学の途中、運転する車内から撮影していた写真を映しながら当時のことを話されました。
撮影の対象は人間がつくったものが多く、「人間はなんでもできる」そんなことを考えながら、次第に「人間」への興味が湧き、自身の身体について考えるようになったそうです。
前半の講義の後、ここで大学時代について質疑応答の時間になりました。

「どの科目を履修していましたか?」という質問に対しては、実は片山先生は、実技科目などはほとんど履修しておらず、当時教壇に立っていた美学担当の教員の思い出や、語学にとても興味があり、多くの言語を履修していたことを話されました。
講義の後半は、大学院を出て作品にどう向き合っているかが話題の中心に。
大学院進学にともない、群馬から離れて暮らすようになったこと、同時に車を手放したこと、群馬=車社会であることから、片山先生にとって、車を手放すことは一種のアイデンティティの喪失ともいえるほど大きな体験だったことが語られました。
その後、社会に出て経験を重ねていく上で、重要なものを失うことが、今まで「自分らしさ」とは何かという強い意識から、むしろ「自分がない」ことを強く実感するようになり、本質的なオリジナリティを突きつめることを意識するようになったそうです。
ここで紹介された作品が、2014年にTRAUMARIS|SPACEで発表された初の個展『you’re mine』。
自身を型取ったオブジェ、ナチュラルではない不自然なセルフポートレート、合わせ鏡を用いたインスタレーション作品。合わせ鏡に移る永遠性、続いていくことの怖さなどもコンセプトとしていたことなどを説明され、ターニングポイントとなった作品でもあるそうです。

ここ数年は、風景を撮影していること、きっかけは出産を機に家を片付けたことであり、残ったものがカメラだけ、ここから何ができるのか、生まれ育った群馬を、作品をとおして見つめ直すことなどがテーマになっています。
依頼される場が広くなると、作品にそれなりのボリュームが必要になります。一方で、自分には、できることとできないことがある。できないことはできる人に任せればいい。ここ最近は、そのような考えで制作を行っていると話されました。
写真集『GIFT』にある1枚。生まれる前から、生まれた子供のことを考えながら制作したオブジェ。片山先生や配偶者の指を転写した布などでつくられています。
願いを込めて作った作品の展示を終え、もしかしたら子供にとって、この作品は欲しくないものなのかもしれないと感じたそうです。そんなことを考えていた時に、「GIFT」という言葉は、ドイツ語の意味に「毒」という意味もあることを知り、腑に落ちたことで『GIFT』とタイトルをつけたと話されました。

『cannot turn the clock back #009』 2017 (c)Mari Katayama
この1年は、日本を含め、世界中のどこかで片山先生の作品をみることができるそうです。
最後の質疑応答での「写真が上手くなるにはどうすればいいですか?」という質問に片山先生は、
「いろいろな作品を見ること、授業科目の中で写真に関するものなどがあればいいな」と答えました。
講義の中で繰り返された「自分らしさとは何か」「合成ではないこと、合成するならやってない」
「クリエイティブに壊すこともできる」など、心に響く言葉が多くありました。
身近に感じる先輩の貴重な講義、大変有意義な時間になりました。
ありがとうございました。
2021年7月16日金曜日
2021年度「芸術の現場から」で清水奈緒先生にご講義いただきました。
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ポスター下:「千手観音菩薩坐像」 |
2021年7月10日土曜日
2021年度「芸術の現場から」で廣海伸彦先生にご講義いただきました。
6月28日の「芸術の現場から」では廣海伸彦先生にいらしていただきました。廣海先生は主任学芸員として出光美術館に勤務されており、江戸時代の絵画を中心とする展覧会の企画・調査研究に従事されています。そのお仕事でのご経験を踏まえ、「展覧会企画の思考法」と題して、美術館の学芸員として展覧会の企画をどのように立てているのかをお話いただきました。
冒頭、「私は博物館があまり好きでない。(中略)。分類とか保存とか公益とかいう正当で明晰な諸々の観念は,歓喜法悦とはあまり縁がないのである。」「これらの名作絶品をこうやっていっしょに並べて置くのは非常識(パラドックス)だ」というポール・ヴァレリー(1871~1945)の言葉を引いて、驚かせてくれました。さらには美術館や博物館、展覧会は、作品を本来あった場所から引き離してもいると言われました。それにもかかわらずどうして展覧会は開催されるのでしょうか。展覧会の意義とはどのようなものなのでしょうか。
廣海先生はマネ(1832~83)の「オランピア」とティッツィアーノ(1488/90~1576)の「ウルビーノのヴィーナス」とが隣り合って展示されたヴェネツィア・ドゥカーレ宮殿で2013年に行われた「マネ、ヴェネツィアへの帰還」展の会場風景をスライドで写し、両者の構図や描かれた女性のポーズ、画面の大きさと縦横比が近似していること、そしてイタリアを訪れたマネがティッツィアーノに刺激を受けたこととを、展覧会場に並んだ二つの絵画を見ることで展覧会を訪れた人は体感的に理解することを紹介されました。複数の作品が組み合わされることで、作品1点だけの鑑賞では得られなかった事柄を実感として理解できる、ここに展覧会の意義があるというのです。
この、複数作品の組み合わせや、展覧会の脈絡に展示品を配置することは、学芸員による解釈の提示であり、これが展覧会において学芸員が行うべき重要な働きであるのです。
廣海先生の勤務されている出光美術館は、所蔵品数が約1万件と、東アジアの古美術をあつかう私立美術館の中でも数多くの作品を所蔵しており、原則として、自館の収蔵品を最大限に活用した展示を行なっているそうです。コレクションの価値づけを、所蔵館の学芸員が率先して行わないで誰が行うのかという考えに基づいているようです。借用作品に頼らない展覧会が基本ということですが、所蔵品の新たな知見や解釈と、それに基づく独自の企画と明確な意図がなければ、このような展覧会活動は成り立ちませんし、持続しないでしょう。展覧会には学芸員による持続的な調査・研究活動が不可欠と強調されました。
展覧会の文脈を作り出す学芸員の発想を、出光美術館の「四季花木図屏風」を例に示してくれました。この作品は、土佐光信の手になると伝えられる室町時代(16世紀)の屏風絵で重要文化財です。それが画家に注目すれば土佐派による(と考えられる)絵画、技法に注目すれば金や銀を含む彩色画、主題に注目すれば自然の景色を描く絵画、形式に注目すれば屏風絵、制作年代に注目すれば室町時代の絵画、文化財保護制度に注目すれば重要文化財指定の絵画となるのです。1点の作品でも、どの性質に注目するのかで出てくる情報は異なります。その作品の気づかれていない性質を引き出す、学芸員が設定する観点が重要なのです。そしてこの観点が展覧会のテーマになるのです。
廣海先生はそのことを、令和2年(2020)の2月から3月にかけて出光美術館で開催した「狩野派――画壇を制した眼と手」展を具体例としてお話してくれました。この展覧会は御用絵師として知られる狩野派が中国や日本の古い絵画を見て、鑑定し、模写をして学び、その成果を自らの絵としていく営みに注目したものでした。そこではこれまで展示したことのない所蔵品をいくつも出陳し、また新しい作品相互の組み合わせや、新たな作品評価を打ち出されたのでした。
以上を通して、廣海先生は展覧会企画の学芸員の思考法を具体的にお話してくれました。展覧会では同じ作品であっても展覧会の枠組みや脈絡や、集められる他の作品との関係によって解釈が変わることがあることも学びました。新型コロナウィルスの感染拡大防止のために昨年と今年と、多くの展覧会が中止や早期の閉幕を余儀なくされましたが、展示を通じて発信されるはずだった学芸員の思索を受け取る機会を多く失ったことにも気づかされました。
2021年7月1日木曜日
2021年度「芸術の現場から」 6月21日(月) 光畑由佳先生によるご講義
6月21日の授業は、光畑由佳先生をお迎えして、「女性が自分らしく輝ける社会をめざして 授乳服メーカー「MO-HOUSE」の挑戦」と題して講義をしていただきました。
光畑先生は、お茶の水女子大学被服学科をご卒業後、ファッション、アート、音楽、演技など常に新しい文化を発信し続ける「PARCO」で、多くの美術関係のキュレーション、建築書の編集などを経験されました。
その後、オリジナルブランドの授乳服を中心に、衣服による環境づくりを提案するMO-HOUSE(以下、モーハウス)を設立。代表として働くかたわら、東京大学大学院情報学環・学際情報学府客員研究員や筑波大学大学院非常勤講師としてもご活躍です。政府関係や行政の有識者会議委員ほか、2014年、2016年に開催された「APEC女性と経済フォーラム」では日本代表の一人としてスピーカーを務められました。著書に『働くママが日本を救う!「子連れ出勤」という就業スタイル』があります。
講義の冒頭では、世界の中で見た日本の妊産婦死亡率、新生児死亡率の低さ、女性の幸福度、子供を持たない選択理由などを提示されました。
モーハウス起業のきっかけは、光畑先生ご自身が経験された「中央線事件」。
ご自身の子が生後1ヶ月のとき、外出時の電車の中でのことです。泣き出した娘がなかなか泣きやまず、周囲からの冷たい視線、迷惑そうな空気が車内に漂ったとき、「赤ちゃんを連れて出かけるだけで、なぜこんな思いをしなければいけないのだろうか」
「行政に頼るのではなく、この状況をどうにか自分で変えていきたい」
そう思ったそうです。
講義の中で光畑先生が、受講生を巻き込み、この「中央線事件」を赤ちゃんの人形を使って再現。
「徹底的に環境調整をすることで、身体内部の状態を良好にコントロールしていく、それが本来の看護ということである」
近代看護教育の母と呼ばれるナイチンゲールの言葉ですが、この言葉を信念に、いつでも、どこでも、快適な授乳環境が1枚の服から整えられるのではないか、そんな思いから起業したのが「モーハウス」です。モーハウスのモーは、motherのmoから、つまり母という意味が込められています。授乳=ミルク、ミルク=牛、牛からイメージするモーではないそうです。
地球、都市、住など大きな意味で使われることもある環境というキーワード、光畑先生の根っこにある被服という視点から、環境をデザインしていくことの重要性を繰り返し語られました。
後半は、モーハウスの働き方改革の1つである「子連れ出勤」について。
ここ数年、見られるようになった企業内託児所(社内もしくは近隣に設置された保育所)としてではなく、ある時はパソコンで作業をしながら授乳したり、オフィスの一角で赤ちゃんがお昼寝をしたり、多くのスタッフの中で育っていく、ハイハイから歩き始めるくらいの子どもたちを、当時の少子化対策担当大臣が来社された時の写真なども交えて紹介されました。
最後のスライドは、このオフィス環境の中で育った1人の子どもの写真でした。
そこには、歩き始めたくらいの小さな子が、自分の子供(キューピー人形?)を抱っこしながら、手にはノートと鉛筆を持っています。
子どのがいる環境で仕事をすることの意味を示した1枚。
この1枚の写真は、女性が自分らしく輝く社会づくりにつながっていくために社会を変えていく力を現わしているようです。
授業終了後の風景。
受講生は授乳服に興味津々、光畑先生の周りに集まった受講生から、多くの質問が投げかけられました。
受講生にとって近い将来への道しるべの1つとして、大変有意義なご講義になりました。
ありがとうございました。
2021年6月25日金曜日
R3年度西洋美術史実地研修1
5月に予定していたものの、延期して6月の実施となった第2回の実地研修では、桐生市の大川美術館に訪問しました。
2021年6月18日金曜日
2021年度「芸術の現場から」 横山義志先生ご講義「どうすれば舞台芸術で「食って」いけるのか」
6月14日の「芸術の現場から」はSPAC(静岡県舞台芸術センター)の文芸部にいらっしゃる横山義志先生に、「どうすれば舞台芸術で「食って」いけるのか:コロナ禍における芸術活動支援から考える」というテーマでお話をしていただきました。
SPACは静岡市の「舞台芸術公園」のなかに立派な野外劇場「有度」を含む複数の劇場を持ち、また東静岡駅のすぐ隣の「静岡芸術劇場」や、駿府城公園でも公演を行っている静岡県立の劇団・劇場組織です。
コロナ禍における芸術活動支援について受講生にしらべてもらった先生は、それが1)厚労省、2)経産省、3)文化庁の三つの省庁から行われていることを確認し、厚労省のものが主として労働者の「賃金・給与」を対象にし、経産省のものが主として事業での利益を対象にしているのに対し、文化庁のものがそれに加えて「文化芸術活動」への謝礼を対象にしていることに注目します。
アートには、事業や労働とは別種の「謝礼」という収入があるのですけれど、それがどういう性質のものなのかを西洋のアートの歴史を遡って説明されます。
アートは共同体やその宗教儀礼に必要な「技術」として始まったのですが、中世にはギルドを持つ「職人芸」とみなされ、近世にアカデミーが作られることで天才である「自由人」の学芸と見做されるようになりました。また近代に入ると、「市民」として社会での機能が強調されるようになり、二十世紀には「芸術労働者」としての役割が強調されるようになります。そして「自由人」、「自由業」としてのアーティストに相応しいのは、報酬ではなく「謝礼」という言葉だったのでした。
職人芸としてのアートの評価はギルドの他のメンバーが、アカデミー型のアートの評価は有識者が、社会型のアートの評価は受容者が中心になっていました。現代のアートはこの三つの評価がバランスよく得られることによって成り立っていると指摘されたのでした。
ですからアート、あるいはアーティストにはもともと、近代的な経済の枠組みからはみ出すところがあります。実際、演劇を専攻する私立大学の増加は、比較的裕福な階層の出身者が演劇の現場を「食えなくても」続けるという傾向を強めたかもしれないと先生は指摘されました。
舞台芸術、とりわけ演劇では、「ライブ」だけで「食っていく」のはもともと難しいのです。そしてコロナ禍はその困難をさらに深めてゆきます。一回性、ライブ性を重んじる演劇がオンラインというメディアにうまく適合しないことと、コロナ禍での経済格差の拡大により庶民が観劇に使えるお金が減ってきたことです。
そのなかで「舞台芸術」を「続ける」ことはどうやったら可能なのか、コロナ禍で深まった舞台芸術の危機はそれ以前からも存在していました。
舞台芸術は「人件費」が多くを占める芸術です。それを賄う公的資金、民間資金は増やすことができるのか、コストは減らすことができるのか、他に道はあるのか、解決が見出されているわけではありませんが、まさにみんなで考えていきましょう、というのが先生のご講義の結論でした。
簡単な希望や展望を示す、というお話ではなく、舞台芸術に固有の「食っていけなさ」についての歴史的経緯と現状を分かりやすく説明されたご講義でした。