2024年7月30日火曜日

オープンキャンパスが開催されました。

7月20日(土)、21日(日)の2日間にわたり、オープンキャンパスが開催されました。
美学美術史学科は、20日(土)の9:30~11:00の90分間、講堂にて学科説明会を行いました。

今年は、300名を超える多くの方が参加されました。
内容は、学科説明、入試説明、在校生による学生生活の発表、そして藤沢桜子先生による模擬授業。
終了後は、個別相談会を実施しました。
また、実技棟で開催されている実技ゼミ生(絵画、デザイン)による展覧会も好評でした。

美学の学生がデザインしたポスター

講堂風景

入試説明

学生2名による発表

藤沢桜子先生による模擬授業

授業内容は、
中心人物の傍らに描かれる動植物や物たちは、絵画作品を読み解くうえで重要な鍵となっていることがあります。我々にとって身近なものも少なくありません。それらがどのような意味を持っているのかを考えてみました。

実技棟での作品展示風景

オープンキャンパスに参加された皆様、
大変暑い中、お越しいただきありがとうございました。

2024年7月29日月曜日

7月22日「芸術の現場から」 現代美術家 井上尚子氏

7月22日(月)の「芸術の現場から」には、現代美術家の井上尚子さんをお招きして、ご講演いただきました。

井上さんは、環境、文化、歴史を匂いの記憶から楽しむ「くんくんウォーク®︎」を教育機関、美術館等で開催していらっしゃいます。

今回の講演では、まず、私たち人間がどのようにして匂いを感じているのかからていねいにご説明いただき、そのうえで、井上さんの取り組みをたっぷりご紹介いただきました。

*「匂い分子と嗅覚受容体の仕組み」東原和茂「化学受容の科学」2012.G-10:図20をもとに作図

匂いは、目に見えません。だからこそ、自分で考えること、そしてそれを言語化してコミュニケーションをとることが重要なのだと井上さん。
また、人それぞれどのような嗅覚受容体を持っているのかが異なっているために、同じものに接しても、それぞれの人が感じる匂いは異なるのだそうです。あまりにも私たちの日常生活で当たり前になっている匂いを嗅ぐことには、こんな奥深さがあります。

井上さんは、青森や横浜、丸の内などなど国内のほか、アムステルダムやミュンヘンなど海外でも、さまざまな展示やワークショップを通じて匂いから人の記憶や場所の文化・歴史を探るプロジェクトを手掛けられています。
匂いという姿の見えない、人それぞれのものだからこそ、それぞれの価値観や文化を知る貴重な回路になり得るということが、お話から伝わってきました。

たとえば、国際芸術センター青森(ACAC)でのプロジェクト「Life is smell 〜素数の森〜」。井上さんはまず青森中のさまざまなものの匂いを嗅いでまわりながら、現地の人々のお話のなかで、3などの素数が繰り返し登場することに着目します。そこで青森=素数の森と見立てながら、現地の人々が思い出の匂いを含むものを持ち寄るワークショップを開催して、それを元にインスタレーションの展示空間を構成していきます。また、青森の森をみんなで歩き回り、そこにある匂いを収集する「くんくんウォーク®︎」を開催したそうです。思い出の匂いと、新しい匂い。さまざまな匂いとの出会いを語り合うことで、青森という場所が複層的に浮かび上がってきます。

*Library of smell at Museum Villa Stuck in Munich

ミュンヘンのプロジェクト「Die Bibliothek der Gerüche」では、ドイツの街・ミュンヘンにて滞在制作を行ったそうです。街の古書店を回って、さまざまな匂いの本を集めてきます。科学者とのコラボレーションを通じてそれらの匂いの成分を分析してみたり、古本の匂いを囲んで現地の市民と連日ワークショップを行ったりと、本の匂いの姿が多角的に浮かび上がります。

また講義のなかでは、本学科講師・青田の幼少期の匂いの記憶について、井上さんとお話しする時間も。

特に0歳のときの記憶は自分では難しいので、母と話して思い出してもらったりと、匂いについてのコミュニケーションの奥深さを体感することができました。

質疑応答では、匂いに興味を持ったきっかけは?という質問から、学生時代にマーブルチョコを床一面に敷き詰める作品を制作したときの匂いの受け止め方が人によって違ったことをお話しくださいました。動物園で動物の排泄物の匂いについて語り合うプロジェクトのお話からは、それぞれの動物の排泄物の匂いの違いを楽しむことで、排泄物=ただ「臭い」という固定的な価値観を揺さぶられるという可能性をご提示いただいたと思います。

学生たちにとっても、匂いという感覚のポテンシャルを捉え直す素晴らしい機会になりました。井上さん、ありがとうございました。

2024年7月7日日曜日

7月1日「芸術の現場から」 七宝作家 春田幸彦氏

 「現代アート 新しい有線七宝の世界」

今回の「芸術の現場から」のゲスト講師は、七宝作家の春田幸彦先生をお招きしました。

 

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美術に進まれた経緯

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先生は幼少の頃から美術に興味を持ち、地元静岡県清水市の清水南高校の美術コースに進学されました。

ビーバップハイスクールのような不良映画に影響を受け、不良ファッションに身を包みながら作品制作に打ち込んでいたとのことです。

東京にて2浪した後、東京藝術大学美術学部工芸科に進学され、1年時には七宝作家の岩田広己氏(当時学部4年生)の作品に感銘を受け、七宝作家を志すことになりました。

卒業後は東京藝術大学工芸科の非常勤講師を経て、オリジナルジュエリーの企画・製造・販売を手がける会社「studio SORA」に勤務されました。そこで出会った丸山聡社長の生き方が今の先生の姿勢を形成しています。「できないと言われたことを最後までやれ!」「世間で売っているものは良いと思うな!自分で開発しろ!」という丸山社長の言葉は、現在の作品制作にも活かされており、七宝制作道具も自作されています。

また、大学時代から続けている趣味としてツーリング同好会に所属しており、キャンプに必要な道具やバイクの部品を自ら制作しています。その同好会のメンバーは大学時代の同級生たちで、今でも大切な友人であるとのことです。

学生たちには「今の友達を大事にし、長く末永く関係を築いてください」とのメッセージを送られました。

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七宝について

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続いて、先生は七宝の世界について歴史を踏まえてお話しされました。

・七宝とは、金属の表面にガラス質の釉薬を付着させる技法で、主に銅、銀、金を使用します。その美しさは7つの宝石に例えられ、「七宝」と呼ばれています。

・七宝の技術は、中国から茶道具などを輸入する形で日本に伝わり、日本国内で研究が進められました。桃山時代には、七宝の技術が襖に用いられるようになり、特に梶恒吉の作品が有名です。ドイツのゴッドフリード・ワグネルは、透明度の高い釉薬を開発し、その技術は日本でも大きな影響を与えました。

・川崎重工の創業者である川崎正蔵も、七宝の発展に貢献しました。彼は「宝玉七宝」として知られる技法を開発し、その名を広めました。

・七宝には、有線七宝と無線七宝の二つの技法があります。有線七宝は、色と色が混ざらないようにする技法であり、この技法で成功を収めた並河靖之は、京都に記念館が設けられるほどの名工です。一方、無線七宝は濤川惣助によって発展し、彼の作品は赤坂の迎賓館で見ることができます。

しかし、先生が所属する日本七宝作家協会の会員数は年々減少しており、七宝技術を学んでも経済的に結び付かない現状があります。文化学園大学で指導している学生も、卒業後に七宝を活かせる職種に就くことは難しいとのことです。このような状況から、先生は七宝を「絶滅危惧工芸」と呼び、危機感を訴えています。

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七宝とROCKについて

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美術を始める前から、先生は中学時代からよく聴いていたROCK(音楽)に影響を受けていたとおっしゃっていました。

ネオロカビリーやモッズなどのファッションにも影響を受けており、自身の七宝作品のタイトルなどにもその音楽の要素を取り入れています。

ROCKの話の中で、先生はタイマーズというバンドについてもお話しされました。タイマーズの代表曲「デイ・ドリーム・ビリーバー」はザ・モンキーズのヒット曲のカバーですが、日本語の歌詞で新たな魅力を加えています。この歌詞は、ボーカルのゼリー(忌野清志郎)が母親を亡くした後に育ての母親への思いを歌にしたもので、清志郎が現実世界を白昼夢のように感じていた様子が描かれています。この曲はアルバム「THE TIMERS」に収録されており、先生は未開封のCDを持参し、学生たちに貴重な資料として見せてくださいました。

2009年に清志郎は亡くなりましたが、今でも世間の声を代弁する歌手として、多くの人々にメッセージを伝え続けています。先生も清志郎の思想に影響を受け、後世に受け継がれる作品を意識しながら、制作を続けているとおっしゃっていました。

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春田先生の七宝作品について

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春田先生は、七宝の世界から自身の想いを発信したいと考えました。彼の七宝作品のモチーフは、大好きな爬虫類から着想を得ています。蛇などの爬虫類は恐怖の対象であると同時に、信仰の対象にもなっています。蛇は人間の欲望によりベルトや鞄に変えられており、命の重さが軽視されているのではないかと考え、そのメッセージを「有線七宝」の技術でアート作品として伝えることにしました。

そして2007年、春田先生はこのテーマを踏まえた渾身の七宝作品「反逆」を2年かけて完成させました。しかし、専門家からは「自己満足」「好みが分かれる」「密度があってもしょうがない」と低評価を受けてしまいました。それでも自身のスタイルを曲げずに制作を続けた結果、キュレーターのグレゴリー・アーバイン氏に認められ、2017年にロンドンのV&A(東芝ジャパンギャラリー)に収蔵されることとなりました。

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春田先生の七宝作品の紹介

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春田先生は自身の作品のコンセプトについて、以下の4つを丁寧に紹介されました。

 

有線七宝綿蛇鞄置物「反逆」

このカバンは組織社会を表しています。意図せずにカバンとしての用途を与えられた錦蛇は、同調圧力によって意志を抑えられた個人の集合を象徴しています。組織の一員でありながら満足せず、常に疑問を抱いて意見を伝えようとする姿を表現しており、体制に従順な態度を示しつつも反逆の時を狙っているというコンセプトです。

置物「無駄に、無駄口、無駄遣い」

レザー素材にされた錦蛇が「口と財布は締めるが得」ということわざを体現しています。余計なことを話したり、お金の使い方を誤って破滅に追い込まれる可能性を表現しており、自らが犠牲となってその教訓を訴えています。

「狂愛の贄筥」「二十日鼠幼体生贄」

二重箱の中で、蛇がハートをかたどり飼い主への信頼と愛情を体で表現しています。

シェイクスピアの「恋は盲目」という格言を基に、愛情の狭間に犠牲があることを問いかけています。この作品はペットと飼い主の関係を通じて、恋人同士や家族、友人関係にも影響を及ぼすことに気づいてもらうことを目的としています。

「始まりと終わりのカラ」

髑髏と蝉の抜け殻をテーマにした作品です。般若心経の教え「命とは何か」を描いており、肉体は単なる物質で魂・命は永遠に存在するという考えを表現しています。そしてもう1つの髑髏の作品「有線七宝髑髏九相図置物Catharsis」は春田先生が愛するお祖母様の死をきっかけに制作され、命のうつろいを感じて欲しいとの思いが込められています。制作することで、先生自身の辛い気持ちを落ち着かせることができたと述べられました。


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有線七宝の実演

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春田先生は、上記の作品紹介だけでなく、有線七宝の実演も行ってくださいました。この技法の複雑な工程や細かな技術を高い集中力で短い時間で見せていただきました。有線七宝は非常に繊細なデザインや複雑な模様を表現できる技法ですが、素人にはなかなか真似のできないことがわかりました。


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ジブリ美術館収蔵作品の紹介

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宮崎駿監督のジブリ美術館には、春田先生の作品が収められています。美術館の一番下の階層には、井戸のポンプの周りに春田先生の有線七宝のオーナメントが4枚飾られています。また、春田先生と友人が制作したロボット兵が屋上に設置されており、そのロボット兵の足元には春田先生の提案で七宝の紋章作品が設置されました。このように、春田先生は単に要望に応じるだけでなく、自身の想いや提案をクライアントに伝える意志を持っており、デザイナーではなく作家だと言うことを確信しました。


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春田先生のご講義により、工芸をアートに昇華させ、命の重さを伝える作品を通して、世の中に疑問を投げかけ、伝統を進化させることを目指しておられることがわかりました。また、技術的な価値を伝えることにも重きを置いていらっしゃいます。先生のお話は、鋭いメッセージを含みながら、学生たちに七宝の歴史とその危うさ、そして未来への可能性を丁寧に示してくださいました。

春田先生、このたびは貴重なご講義をありがとうございました。


2024年7月2日火曜日

6月17日「芸術の現場から」美術作家 大石 歩真先生

今回の「芸術の現場から」のゲスト講師は、NPOクロスメディアしまだ代表理事の大石 歩真先生をお招きしました。

静岡県島田市のご出身の大石先生は、静岡で広告会社、名古屋でPR会社取締役をつとめた後、Uターン帰郷し、地域活性を専門に扱う「クロスメディアしまだ」を設立、その後、NPO法人化しました。
コミュニティサイトを活用した市民活動活性化事業を皮切りに、地域づくり分野での事業を開始。「UNMANNED無人駅の芸術祭/大井川」の開催をはじめとするアートによる地域再生事業や、子ども向けの社会教育事業、地域情報の発信事業など、「スキだらけのマチづくり」をテーマに、人と資源をクロスさせる新しい視点で展開。令和5年には静岡県文化奨励賞を授与されていいます。

大石先生がプロデュースした芸術祭の取り組みを軸に、地域の課題と、どう向き合っていくか、どのような場所づくりを目指しているのか、ご講義いただきました。

まずは、活動の拠点である島田市のお話から。
お茶の産地として知られる静岡県。6月のこの時期は、2番茶の葉が収穫されるタイミングです。
テーマとなっている「スキだらけのまちづくり」。スキには、《好き》や《隙間》などの意味が込められています。地域に暮らす人の価値観はさまざま、違いがあって当然。その違いの中に隙間が生まれる。その隙間を繋いでいけるよう、コーディネートしていくことに魅力を感じたそうです。切り口としての情報支援、子育て支援、中間支援、そして芸術文化の支援など、分野を横断して取り組んでいます。

アートによるまち作りの可能性を実感し始めたのが、2018年からスタートした「UNMANNED無人駅の芸術祭/大井川」。
まずは、2024年2月に開催された芸術祭のPVを紹介。

なぜ「UNMANNED(無人)」をテーマにしたのか。

島田市の人口の推移が紹介、地域基盤の変化により、さまざまな「無人」が形成されていきました。外部環境としては、コロナ禍で見られた都市部の無人化、効率化が進むことで進む無人化など。内部環境としては、「空き家」「廃校」「祭り・祭事」「耕作放棄地」「鉄道」「無人駅」など。「無人」は、身近に存在し、現代を象徴しているかのようでした。

ここで着目したのは、SLやトーマス機関車が走る大井川鐵道、全部で20ある駅のうち、16の駅が無人駅です。「UNMANNED無人駅の芸術祭/大井川」は、駅から始まり、駅周辺のエリアに広がり、展開されています。
その過程で生まれたものとして、アーティストが制作のために滞在する古い民家があります。大石先生はこの民家をNPOで買取り、制作の場であり、地域住民とアーティストのコミュニティスペースとして、生まれ変わらせます。改築の過程で残ったのが、1階にある広い和室。作品が存在する場でもあり、地元の人が、寄り合い、コトが生まれる場にもなっています。
地元の方たちは自らを「抜里(抜里)エコポリス」と名付け、お揃いの青いジャンパーまで制作しています。初夏には蛍の鑑賞会が開催し、エコポリスの方も大活躍。

大石先生は、アーティストと関わり始め気づいたことがあります。
地域で暮らす人にとっては当たり前すぎて価値を見出せなかった、忘れ去られたものやこと、場が、アーティストからみれば面白く魅力的なテーマになる。

今まで関わってきたアーティストから感じていることとして、制作などにおけるアーティストと協力者の関係は、指示するものではなく、上下の関係がない対等な関係である。だから協働で生み出すことができる。1つの解しか導き出せない問いではなく、アートも地域も正解がないことが、協働で何かを作り出すことができる要因になっている。
減っていくことをマイナスと捉えず、地域でできないことは、できる人がやればいい、それが外部の人でも大歓迎。大石先生は、「地域は大きな器を作ること」とイメージしています。

最後に、大石先生の学生時代のお話から履修生へのメッセージです。
中学や高校から、バックパッカーとして、世界中を旅し、大学時代にも数多くの国を訪れていた大石先生。卒業後は広告代理店で働き、もっといろいろな人と関わりたいと思っていたそうです。
「地域を面白くしていくためには、ばかもの、若者、よそ者、この3つがとても大切です。地域との関わりを固く考えず、自分ができることを考える。例えば漫画が好き、とか。その漫画を私出発のものとして大事にすることから地域づくりに参加することもよいと思うのです」

とても素敵な低音ボイスの大石先生。人を引きこむ魅力的な声と言葉に、予定されていた時間があっという間に過ぎていきました。
大石先生、ありがとうございました。