2025年5月23日金曜日

5月19日「芸術の現場から」アーツ前橋特別館長 南條史生先生

 第三回目のゲストとして、アーツ前橋特別館長、森美術館特別顧問、十和田市現代美術館総合アドバイザー、弘前れんが倉庫美術館特別館長補など多数のお仕事を兼任されている南條史生先生にご講義をいただきました。

先生には、2016年に一度本学にお越しいただき、その際も世界のアート、とりわけアジアの現在について、お話を伺いました。今回、本学学長からも何度もオファーし、大変お忙しい中二度目のご講義をいただくことが叶いました!ご縁があり、群馬県前橋市の「アーツ前橋」の特別館長というお立場になられたので、是非ともお話を伺いたいと思っていました。


世界のアートシーンを牽引している南條先生に、今回講義のためにアーツ前橋の展覧会について、そして世界のアートの今についてお話しいただきました。

まずはアーツ前橋開館10周年記念として2023年~2024年に開催された「ニューホライズン 歴史から未来へー」の展覧会のお話です。

アーツ前橋は、2013年にオープン後、展覧会だけでなく多くの地域アートプロジェクトを実施してきました。展覧会では、市民とアーティストの協働をさらに市街地へと拡充し、再開発が待たれるアーケード街に、人工知能やAR(拡張現実)などテクノロジーを
用いた作品、イマーシブな映像インスタレーションなどを展開しました。

先生はその展覧会のアーティストや作品について画像を見せながらお話されました。
この展覧会は学生や県民の聴講の方も鑑賞した人が多く、先生から個々の作品についてお話を伺うことができ、展覧会を思い出すことが出来た方も多かったのではないでしょうか。


その後、展覧会に出品するアーティストをいかに集めてくるか、というお話になりました。
当然のことながら、日本の作家のみならず、世界の作家の中から声をかけて展覧会を構成するので、海外の作家とどう出会い、つながりを持つのかというお話をしていただきました。

そこからのお話は学生も県民の方も目を見張るものが多く、
中国の新しい美術館のお話に始まり、アジアの現在のアートシーン事情、
インドネシア、シンガポールなど、巨大な美術館に巨大な作品が展示されていることも紹介してくださいました。

さらに、昨今ではアラブ首長国連邦のアブダビに世界有数のグローバルな文化的中心地となることが期待されている場所が出来ていること、ドバイでのアートフェア、ヨルダンの砂漠の中に美術館が出来ていること、カタールのミュージアムのこと、サウジアラビアのビエンナーレ、、、というように特に今中東のアートが熱いということを作品画像と共に紹介してくださいました。

↑先生が現地で着用していた衣装も紹介してくださいました。

先生のこの情報量の多さ、さらに現地に赴き、アーティストと交流を重ねるということに誰もが圧倒され、ただただすごい・・・という雰囲気になりました。

世界のアートの今に触れた直後でしたが、今回20分程度質問の時間をとることが出来ました。
学生たち、県民の聴講生の方も緊張した面持ちでしたが、
活発に質問が投げかけられました。

大学で学び始めた1年生からの質問にも丁寧に回答してくださいました。世界を見ている先生ならではの、おおらかでハッとするような気付きの多い言葉は、講義を受けたみんなの心にじわじわと染みるものがありました。

南條先生、本当にありがとうございました。

2025年5月7日水曜日

4月28日「芸術の現場から」コスチューム・アーティスト ひびの こづえ先生

今回の「芸術の現場から」は、ゲスト講師としてコスチューム・アーティストのひびの こづえ先生をお招きしました。

ひびの先生は、静岡県生まれ。 1982年に東京藝術大学美術学部デザイン科を卒業。
在学中は、デザインの中でも視覚伝達、つまりグラフィックデザインを専攻していたそうです。

コスチューム・アーティストとして活動する様になってからは、広告、演劇、ダンス、バレエ、映画、テレビなど、その発表の場は、多岐にわたり、毎日ファッション大賞新人賞、資生堂奨励賞、紀伊國屋演劇賞個人賞受賞なども受賞されています。

講義のスタートは、楽しかった大学生活の話から。

ひびの先生が就職した時代は男女雇用機会均等法が成立する前で、大手の広告代理店はクリエイティブな分野の採用は男性のみ。女性の採用はありませでした。ここで挫折を味わったと言います。広告代理店はあきらめ仕方なくアパレル業界に就職するも、すぐに退職。現在も続く「自分探し」の日々が始まります。

『これは何だと思いますか?』

まだ先の見えない自分へのエール、ステップアップの想いを込めて、《赤い階段の帽子》をはじめ、《タンスの帽子》なども制作されました。

1988年にコスチューム・アーティストとしての活動をスタート。
当時、ひびの先生は、じつは服に関してはまったく勉強しておらず、知識もなかったと言います。

時代は、DC(デザイナーズ&キャラクターズ)ブランドの全盛期。個性的で独創的なファッションが受け入れられていました。

テレビ、演劇、ダンス、歌舞伎、映画、雑誌、広告の世界で、ひびの先生の衣装が求められることになります。

川久保玲が生み出すコムデギャルソンのパリコレへの参加も経験。

服とは何かをテーマに活動が続きます。

「なんか、変?」

広告の世界は、何らかの違和感を印象に残すことが使命。ヘアメイク、カメラマンをはじめ多くの仲間を大切にして、コミュニケーションの中でさまざまなアイデアを生み出す面白さが、斬新な広告へとつながっていきます。

その後、CMのお仕事へ
「ホンダスタンドアップタクト」や「カゴメ野菜ジュース」で制作された野菜の服など、多数の映像を投影しながら、制作秘話を語ってくれました。

制作時間がない中、わずか数秒のためにどれだけ時間をかけるか、また服を制作するのではなく、どちらかというとオブジェを生み出している感覚だと話されました。

そして今も続く長寿番組NHK Eテレ「にほんごであそぼう」のお話へ

2003年にスタートした「にほんごであそぼう」のコスチューム制作の話は、日本を代表するデザイナーの一人である、佐藤卓氏からもたらされました。

「にほんごであそぼう」を見て育った世代である多くの履修生が、ひびの先生の話に反応しました。

子ども向けの番組ではあるけれど、子どもっぽいものをつくりたくはなかった、とひびの先生。

NHKでは、放送局のデザイナーが空間デザインのセットを提案することが当たり前、しかしひびの先生は、セットと衣装の両方を担当することに。セットの空間自体を衣装と捉えることで、衣装のアイデアを引き算できる。 歌舞伎の手法を取り入れ、何回も使えて収納がコンパクトですむ布をセットに使うことを提案。大量生産大量消費することではなく、環境に負荷がかからないよう配慮したと言います。

歌舞伎に関わる仕事が舞い込みます。
2000年コクーン歌舞伎「三人吉三」、2001年歌舞伎「研辰の討たれ」など。

通常の歌舞伎の舞台ではありえないような、スタンディング・オベーションも経験。

「三人吉三」

いよいよ最後のパートに。

多くの仕事を経験することで、衣装から生まれるダンスパフォーマンスを作ろうと考えるようになります。

ひびの先生がストーリーを考えて衣装プランを描き、そのプランを音楽家が作曲。衣装と、生まれた音楽をパフォーマーに手渡して新しい発想が吹き込まれて作品となる。

LIVEBONEの映像の一部

奥能登国際芸術祭2020+で生まれた「Come and Go」

2017年から始まった奥能登国際芸術祭に参加。ひびの先生は、その後、毎年、奥能登の珠洲市に通っています。昨年の能登半島地震、そして豪雨で甚大な被害に遭われた方への支援を続けています。ひびの先生の話から、復興への願いが、伝わってきました。

最後に、履修生の方へのメッセージとして。
「最後まで作って完成させる」

大学時代の師である福田繁雄さんの言葉です。
ひびの先生は言います。

「アートは心に栄養を与えてくれる。美術を学んだ皆さんは、今は形が見えなくても、生活や仕事の中でそのことを実感しているはず」

ひびのこづえ先生、貴重な経験を交えたご講義、ありがとうございました。