今回の「芸術の現場から」は、ゲスト講師としてコスチューム・アーティストのひびの こづえ先生をお招きしました。

ひびの先生は、静岡県生まれ。 1982年に東京藝術大学美術学部デザイン科を卒業。
在学中は、デザインの中でも視覚伝達、つまりグラフィックデザインを専攻していたそうです。
コスチューム・アーティストとして活動する様になってからは、広告、演劇、ダンス、バレエ、映画、テレビなど、その発表の場は、多岐にわたり、毎日ファッション大賞新人賞、資生堂奨励賞、紀伊國屋演劇賞個人賞受賞なども受賞されています。
講義のスタートは、楽しかった大学生活の話から。
ひびの先生が就職した時代は男女雇用機会均等法が成立する前で、大手の広告代理店はクリエイティブな分野の採用は男性のみ。女性の採用はありませでした。ここで挫折を味わったと言います。広告代理店はあきらめ仕方なくアパレル業界に就職するも、すぐに退職。現在も続く「自分探し」の日々が始まります。

『これは何だと思いますか?』
まだ先の見えない自分へのエール、ステップアップの想いを込めて、《赤い階段の帽子》をはじめ、《タンスの帽子》なども制作されました。
1988年にコスチューム・アーティストとしての活動をスタート。
当時、ひびの先生は、じつは服に関してはまったく勉強しておらず、知識もなかったと言います。
時代は、DC(デザイナーズ&キャラクターズ)ブランドの全盛期。個性的で独創的なファッションが受け入れられていました。
テレビ、演劇、ダンス、歌舞伎、映画、雑誌、広告の世界で、ひびの先生の衣装が求められることになります。

川久保玲が生み出すコムデギャルソンのパリコレへの参加も経験。
服とは何かをテーマに活動が続きます。
「なんか、変?」
広告の世界は、何らかの違和感を印象に残すことが使命。ヘアメイク、カメラマンをはじめ多くの仲間を大切にして、コミュニケーションの中でさまざまなアイデアを生み出す面白さが、斬新な広告へとつながっていきます。
その後、CMのお仕事へ
「ホンダスタンドアップタクト」や「カゴメ野菜ジュース」で制作された野菜の服など、多数の映像を投影しながら、制作秘話を語ってくれました。
制作時間がない中、わずか数秒のためにどれだけ時間をかけるか、また服を制作するのではなく、どちらかというとオブジェを生み出している感覚だと話されました。
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そして今も続く長寿番組NHK Eテレ「にほんごであそぼう」のお話へ
2003年にスタートした「にほんごであそぼう」のコスチューム制作の話は、日本を代表するデザイナーの一人である、佐藤卓氏からもたらされました。
「にほんごであそぼう」を見て育った世代である多くの履修生が、ひびの先生の話に反応しました。
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子ども向けの番組ではあるけれど、子どもっぽいものをつくりたくはなかった、とひびの先生。
NHKでは、放送局のデザイナーが空間デザインのセットを提案することが当たり前、しかしひびの先生は、セットと衣装の両方を担当することに。セットの空間自体を衣装と捉えることで、衣装のアイデアを引き算できる。 歌舞伎の手法を取り入れ、何回も使えて収納がコンパクトですむ布をセットに使うことを提案。大量生産大量消費することではなく、環境に負荷がかからないよう配慮したと言います。
歌舞伎に関わる仕事が舞い込みます。
2000年コクーン歌舞伎「三人吉三」、2001年歌舞伎「研辰の討たれ」など。
通常の歌舞伎の舞台ではありえないような、スタンディング・オベーションも経験。

「三人吉三」
いよいよ最後のパートに。
多くの仕事を経験することで、衣装から生まれるダンスパフォーマンスを作ろうと考えるようになります。
ひびの先生がストーリーを考えて衣装プランを描き、そのプランを音楽家が作曲。衣装と、生まれた音楽をパフォーマーに手渡して新しい発想が吹き込まれて作品となる。
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LIVEBONEの映像の一部 |
奥能登国際芸術祭2020+で生まれた「Come and Go」 |
2017年から始まった奥能登国際芸術祭に参加。ひびの先生は、その後、毎年、奥能登の珠洲市に通っています。昨年の能登半島地震、そして豪雨で甚大な被害に遭われた方への支援を続けています。ひびの先生の話から、復興への願いが、伝わってきました。
最後に、履修生の方へのメッセージとして。
「最後まで作って完成させる」
大学時代の師である福田繁雄さんの言葉です。
ひびの先生は言います。
「アートは心に栄養を与えてくれる。美術を学んだ皆さんは、今は形が見えなくても、生活や仕事の中でそのことを実感しているはず」
ひびのこづえ先生、貴重な経験を交えたご講義、ありがとうございました。
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