2021年7月10日土曜日

2021年度「芸術の現場から」で廣海伸彦先生にご講義いただきました。

6月28日の「芸術の現場から」では廣海伸彦先生にいらしていただきました。廣海先生は主任学芸員として出光美術館に勤務されており、江戸時代の絵画を中心とする展覧会の企画・調査研究に従事されています。そのお仕事でのご経験を踏まえ、「展覧会企画の思考法」と題して、美術館の学芸員として展覧会の企画をどのように立てているのかをお話いただきました。

冒頭、「私は博物館があまり好きでない。(中略)。分類とか保存とか公益とかいう正当で明晰な諸々の観念は,歓喜法悦とはあまり縁がないのである。」「これらの名作絶品をこうやっていっしょに並べて置くのは非常識(パラドックス)だ」というポール・ヴァレリー(1871~1945)の言葉を引いて、驚かせてくれました。さらには美術館や博物館、展覧会は、作品を本来あった場所から引き離してもいると言われました。それにもかかわらずどうして展覧会は開催されるのでしょうか。展覧会の意義とはどのようなものなのでしょうか。
廣海先生はマネ(1832~83)の「オランピア」とティッツィアーノ(1488/90~1576)の「ウルビーノのヴィーナス」とが隣り合って展示されたヴェネツィア・ドゥカーレ宮殿で2013年に行われた「マネ、ヴェネツィアへの帰還」展の会場風景をスライドで写し、両者の構図や描かれた女性のポーズ、画面の大きさと縦横比が近似していること、そしてイタリアを訪れたマネがティッツィアーノに刺激を受けたこととを、展覧会場に並んだ二つの絵画を見ることで展覧会を訪れた人は体感的に理解することを紹介されました。複数の作品が組み合わされることで、作品1点だけの鑑賞では得られなかった事柄を実感として理解できる、ここに展覧会の意義があるというのです。
この、複数作品の組み合わせや、展覧会の脈絡に展示品を配置することは、学芸員による解釈の提示であり、これが展覧会において学芸員が行うべき重要な働きであるのです。

廣海先生の勤務されている出光美術館は、所蔵品数が約1万件と、東アジアの古美術をあつかう私立美術館の中でも数多くの作品を所蔵しており、原則として、自館の収蔵品を最大限に活用した展示を行なっているそうです。コレクションの価値づけを、所蔵館の学芸員が率先して行わないで誰が行うのかという考えに基づいているようです。借用作品に頼らない展覧会が基本ということですが、所蔵品の新たな知見や解釈と、それに基づく独自の企画と明確な意図がなければ、このような展覧会活動は成り立ちませんし、持続しないでしょう。展覧会には学芸員による持続的な調査・研究活動が不可欠と強調されました。

展覧会の文脈を作り出す学芸員の発想を、出光美術館の「四季花木図屏風」を例に示してくれました。この作品は、土佐光信の手になると伝えられる室町時代(16世紀)の屏風絵で重要文化財です。それが画家に注目すれば土佐派による(と考えられる)絵画、技法に注目すれば金や銀を含む彩色画、主題に注目すれば自然の景色を描く絵画、形式に注目すれば屏風絵、制作年代に注目すれば室町時代の絵画、文化財保護制度に注目すれば重要文化財指定の絵画となるのです。1点の作品でも、どの性質に注目するのかで出てくる情報は異なります。その作品の気づかれていない性質を引き出す、学芸員が設定する観点が重要なのです。そしてこの観点が展覧会のテーマになるのです。

廣海先生はそのことを、令和2年(2020)の2月から3月にかけて出光美術館で開催した「狩野派――画壇を制した眼と手」展を具体例としてお話してくれました。この展覧会は御用絵師として知られる狩野派が中国や日本の古い絵画を見て、鑑定し、模写をして学び、その成果を自らの絵としていく営みに注目したものでした。そこではこれまで展示したことのない所蔵品をいくつも出陳し、また新しい作品相互の組み合わせや、新たな作品評価を打ち出されたのでした。

以上を通して、廣海先生は展覧会企画の学芸員の思考法を具体的にお話してくれました。展覧会では同じ作品であっても展覧会の枠組みや脈絡や、集められる他の作品との関係によって解釈が変わることがあることも学びました。新型コロナウィルスの感染拡大防止のために昨年と今年と、多くの展覧会が中止や早期の閉幕を余儀なくされましたが、展示を通じて発信されるはずだった学芸員の思索を受け取る機会を多く失ったことにも気づかされました。

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